みなさん初めまして、同志社大学サッカー部2回生の鹿取です。私のサッカー人生について書きました。長い文章になりますが、時間があれば読んでみて下さい。最後だけ読んでいただいても大丈夫です。

自分にとってサッカーは、人生そのものです。今では、サッカーがない生活は考えられません。今までずっと、そしてこれからもサッカー中心で生活をしていくつもりですが、そんな私のサッカー人生を少し文章にさせていただきました。私がサッカーに出会ったのは4歳くらいで、兄の影響もあり、物心ついた頃からボールを蹴っていました。それから今までサッカーの魅力にハマり、サッカーを続けてきました。今は、プロで活躍する事を目標に日々サッカーに向き合っています。

ここまでは、ただ楽しいサッカー人生のように見えると思いますが、中学、高校は大きな壁にぶつかりました。小学生までは、あまり身体の差を感じなかった中で、中学、高校に上がるにつれ身長も小さく線も細かった自分は、周りの選手との差を感じ始めました。当時、それに対しての怒りや悔しさが大きかったが、それ以上に身体能力の高い相手に対してどのようにして勝つのかを考えて試すのが楽しかったんです。サッカーの難しさを感じていた中、高校1年生の冬に、腰椎分離症の怪我を負いました。最初は、3ヶ月で復帰できると医師から診断が出ていたのですが、怪我の治療はうまく進みませんでした。結局復帰したのは怪我をしてから9ヶ月後の夏でした。復帰後は、サッカーができる喜びを噛み締めてプレーしていましたが、高校2年生の冬に腰椎分離症の再発をしてしまいます。怪我が再発した直後は、復帰して高校サッカー選手権に出ることを想像するのは難しかったです。そんな難しい状況の中、自分で見つけた武器はコツコツと小さい事をやり続ける事でした。チームメイトなどが年代別の代表やプロにいく中で自分は、試合にも出れない日々が続ました。でも、自分は腐る事なく、コツコツ技術やサッカー観の成長、体幹などの身体強化を少しずつでも毎日続けて進歩する事を意識して行動してきました。それによって、何年後かに昔は負けていたかもしれない選手たちに大きな差をつけて勝つ自信がありました。今でもこの考えは変わってなく、もっと向上心を持って成長したいと思っています。話を戻しまして、高校3年生になり、インハイや選手権が近づいてきた中で私の腰は全く順調に回復してくれませんでした。復帰したのは3年の9月下旬でした。結局、高校サッカーの約2年間を怪我でプレー出来ませんでした。復帰した頃には、選手権の予選も始っていて、予選を勝ち上がったチームは選手権への切符を勝ち取りました。選手権の全国では、今までの悔しさをすべてぶつけてプレーしようと楽しみにしていました。これで高校サッカー選手権に出たというのがきれいなストーリーだと思いますが、ベスト8までチームは進んだが、私は1分も出れずに高校サッカー引退を迎えました。でも、自分の怪我に対して日々コツコツとやり続けた行動に後悔は一切なかったです。この悔しさは今でも原動力になっていますし、忘れてはいけない経験です。ベンチから見ていた選手権の景色は、忘れられないものですし、自分が高校で立てなかった舞台にプロとなって立ちたいと思います。

長々と話しましたが、私が言いたい事は小さい事の積み重ねが大きな力を生むという事です。私は、この小さな事をコツコツとやる事で今まで成長してきましたし、これが私の武器だと自信を持って言えます。いきなりは成長しないですが、続ける事でいずれ大きな武器となります。まだ、私は何も成し遂げていないため、コツコツと小さい事をやり続ける事の重要さを成功体験として証明する事は出来ていませんが、自分では成長を少しずつ感じています。自分の武器を大切にこれからも目標に向かって行動していき、成功を収めて、積み重ねの重要性を証明したいと思います。拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。