こんにちは。
今回部員ブログを担当させていただきます、商学部2回生の廣兼龍之介です。
拙い文章ですが最後まで読んでいただけると幸いです。
みなさんはどんな得意不得意がありますか?
私は飽きやすい人間で、興味を持って取り組んだものも義務的に続けたものはありましたが、長くまで意欲的に続いたことはないに等しいです。特に勉強は大の苦手です。なのになぜこの大学に入れたかと思うだろう。そこは察してください。また、私は本を読むのが苦手です。ですが、父に薦められた小説と、ついこの間友人に薦められた一冊とはなぜかずっと読めます。
もしかしたらこのブログ見てるかな、この間思い出せなかった小説の名前は「手紙」です。読んだら感想教えてね。
そして自分の得意な事、唯一続いていることはサッカーなのです。
話が逸れましたが、今回私が伝えたい事は、「何か自分に誇れるものを持つ」ということです。
何か誇れることを持つことで自分には自信になるし、財産になります。
それが私に取ってはサッカーなのです。
5歳からサッカーを始めた私には、清水出身といこともあり、多くのサッカーをしている友人がいます。その1人は中学で同じチームでやった後、高校では別別でしたが大学で、しかも関西で再び同じ部活でサッカーをしています。日本は広いようで狭いものである。そんなここまでのサッカー人生の中では、大きな大会で優勝を経験したり、選手権で本戦まで出られずおわった事などがありましたが、これらの経験は間違いなく自分には忘れられないものです。
正直なところ、私にとっては高校サッカーで自身のサッカー人生は一つの区切りがついています。もちろん大学のサッカーを遊びであると考えているわけではないです。楽しんではいるが、やる時は本気です。ですが、大学に入学して部活に入り感じたことは、自分はもう「大人」であるということです。もう誰かがやってくれるのではない。自分がしなくてはならない。「大人」という存在がこんなに近いのかと驚きました。
高校の時に想像していたように、大学は自由な時間が多くありとても楽しいですが、もちろんしんどいことも多くあります。そこで人は楽をすれば簡単でしょう。しかし、そこで楽をしたらどうなのか。部活をしてきている意味はあるのでしょうか、少し話が大袈裟に聞こえるかもしれないですが。
私は本当にサッカーをしてきたことを誇りに思っています。
だからそこで楽をしたら意味がないのは明らかです。本気で誇りを持ってやってきたことには自信がついてきます。本気で誇りを持ってやってきたことにはそれだけの結果がついてきます。だからこそ普通の事を選択していいのでしょうか。
これを読むのは基本的にサッカーに直接的、または間接的に関わっている人だと思います。そんな人たちに伝えたいことは、「自分に何か誇りを持つこと」なのです。自分では気づきにくいものですが、ここまでの人生で大学に入っても本気で続けてきた人はどのくらいいるでしょうか。だからこその誇りを持っていいと思っています。何もなしに誇りを持てるわけではないのです。私はそれがサッカーでしたが、なんでもいいです。例えば、何か資格に向けて頑張っている自分、将来の為にバイトを頑張っている自分。何か苦しい場面に直面しても、「俺、私はここまでやってきたんだから」と空元気でも思えばいいと思います。そう思えるほど本気で取り組んで自分で誇りに思っていることなら結果はタイミングはいつであれ、ついてくると思います。
一緒に頑張っていきましょう!