「ミツバチの羽音と地球の回転」・上映会感想(原発とエネルギー政策) | 道玄坂で働くベンチャー課長だったひと

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Il n'est qu'un luxe veritable, et c'est celui des relations humaines.
Saint-Exupery(真の贅沢というものは、ただ一つしかない。それは人間関係の贅沢だ。
サン=テグジュペリ)
 

おととい、「ミツバチの羽音と地球の回転」という、
原発問題を取り扱ったドキュメンタリー映画を観てきました。

$道玄坂で働くベンチャー課長

[ミツバチの羽音と地球の回転 公式HP]
http://888earth.net/index.html

場所は高円寺で座・高円寺という劇場。
 
$道玄坂で働くベンチャー課長

瀬戸内海に点在する山口県の小島の1つに、
祝島(いわいしま)は、人口が約500人で、
65歳以上が69%を占めるいわゆる高齢化がすすむ過疎地域。
 
農業と生物の多様性に恵まれた漁業で島民は生活を営んでいます。
 
そんな中、中国電力が政府のエネルギー政策の一環として、
祝島の対岸・上関町四代田ノ浦に、
上関原子力発電所(上関原発)を建設することを1980年代に発表。
 
漁業中心の生活をしている島民にとって、
原発が建設されることは自然環境が破壊されるだけではなく、
安全性もさることながら、原発は稼働するためには、
大量の冷却水が必要になり、最終的に温められて出てきた
排水が毎秒190トンという量になって、海に注がれていきます。
 
海はちょっとした変化でも、生物が死滅してしまうほど敏感で、
水温が1度でも上昇すれば、ほとんど生物は生きていけないと
漁師は危惧しているのです。
 
それ以来、現在にいたるまで20数年にわたる島民の抗議活動を
ドキュメンタリーとして、島民の生活に密着しながら取材しています。
 
そして、環境先進国であるスウェーデンの事例に学び、
いかにすれば、脱・原子力を実現できるかを模索しています。
 
個人的な感想として、原子力問題というのは想像以上に複雑で、
祝島の島民は、その末端として被害者ですが、
産業が発展するうえで、電力というインフラは欠かすことができず、
電力の供給が不足すれば、頻繁に停電が発生してしまいます。
 
そして停電が発生すれば、一時的に電車をはじめ、交通はマヒし、
あらゆるシステムがダウンし、瞬時にして莫大な経済被害をもたらします。
 
これは原発問題に限ったことではないのですが、
アメリカが911同時多発テロを作り上げ、イラクを攻撃したのも、
石油やパイプライン関連の利権に他ならず、結局のところ、
現在のアメリカの生活水準、産業の発展を維持しようと思えば、
絶対的に石油燃料が必要となり、それは中国も大発展を遂げるために、
中国国内のみならず、アフリカ諸国の天然資源に目をつけています。
 
個人的に祝島の島民の生活を守り、
いままで通り暮らしていけるように配慮したいと思う反面、
将来、危惧させる慢性的な電力(エネルギー)不足に対し、
具体的な解決案を提示できないという点です。 
 
原発というのは、チェルノブイリのような放射能による危険性がある分、
かなり莫大な電力を生産することができ、
歴史をたどれば、マンハッタン計画から東西冷戦、
軍事目的で利用されていた粒子を衝突させて、分子を破裂、分裂され、
熱量を一気に創造させるのです。
 
なぜ、こういった過疎地に原発が開発されるかといえば、
わざわざ人が密集している地価が高い場所でつくる必要がないのと、
もう1つは、多額の助成金が政府からその自治体に供給され、
祝島でいえば、現在の農業、漁業に頼らずとも、
経済的に安定した生活、公共政策を行えるようになります。
 
しかし、認可、招へいする町長と市民の意見が必ずしも一致しているわけではなく、
町長としては、それを招へいすることにより、中央とのパイプが強くなり、
政界・財界における発言力、影響力も大きくなるわけで、
市民の合意であればいいのですが、目先の権益に目がくらむケースが多い気がします。
 
原発ということで関連していえば、日本においてマッキンゼーを有名にさせた
大前研一氏も、大学時代は早稲田大学理工学部に所属し、
応用化学を専攻したにも関わらず、
2、30年後には、世界の石油は枯渇するとの論文を学生時代に読み、
これからは原発の時代であると見据え、独学で物理学、量子力学を学び、
東工大大学院に原子核工学科で入学し、修士号を取得します。
 
その後、世界トップクラスであるMIT(マサチューセッツ工科大学)博士課程にて、
同じく原子力工学科を専攻し、アメリカスタイルに苦戦を強いられながらも、
見事に博士号を取得し、帰国。
 
その後、日立製作所へ入社し高速増殖炉の設計技師として、勤務しますが、
原発は住民に石を投げられる仕事と倫理的な後ろめたさと、
日立が独自で原発設計を諦めたことをきっかけに、大前氏も見切りをつけ、
偶然にして、コンサルとしてのキャリアを歩み始めます。
 
アメリカは2代に渡るブッシュという石油まみれの大統領から、
オバマが誕生し、グリーン・ニューディール政策を打ち出し、
自然エネルギーの開発・利用にシフトしました。
 
アメリカのすごい点は、一度政策を発表すると、
投資家が動く点で、投資家も市場の発展性を見込んでのことですが、
ベンチャーによる新技術も開発され、日本とスピード感が完全に異なり、
とりわけ自然エネルギーにおいては、初期費用がかかるため、
まとまった資金の援助は、実現のために欠かすことができません。
 
ヨーロッパにおいては、北欧やドイツは環境先進国ですが、
自分が留学していたフランスは、旧態依然として、
ド・ゴール大統領が対外交政策として、
フランスは原子力を手放さないとの遺訓を残し、
現在も大型原発が田園風景の中に出現します。
 
ミクロの視点でいえば、祝島の島民であるわけですが、
マクロの視点に立ち、政府の政策立案者の立場であるとして、
いかに日本国内におけるエネルギー供給を環境に配慮しながら、
目標通り達成するかという課題に直面した場合、どうなのでしょうか。
 
京都議定書もあり、CO2排出が制限されるため、
火力発電所という選択肢は、政府としても積極的に推進することができず、
水力発電では、満足のいく供給量に達成せず、そうやっていくと、
現時点において、原発という選択肢にならざるを得ない現状があると思います。 
 
それだから、祝島の島民が当然のように犠牲になるべきという思いは、
全くありませんし、むしろ、白羽の矢が立ってしまった不運な人々でありますが、
単なる原発が悪であるという理論では、簡単に解決し得ない複雑で、
構造的問題が存在するのです。
 
現在、日本では電量会社は独占(寡占)状態にあり、
電力市場が一般開放されているわけではありません。
 
スウェーデンでは、10年以上前に電力市場が一般開放され、
国民は自分で電力会社を選び、自然エネルギーによって発電されたものを
利用するという選択の幅があり、競争の原理も働いています。
 
日本の場合、停電もなく、現状かなり電力供給は安定していますが、
インフラとして政府が干渉しながらこのまま継続するべきなのか、
もしくは、電力市場を開放して、新しく分散化した電力供給に切り替えるのか?
 
日本はまさに岐路に立たされていると感じます。
 
「ミツバチの羽音と地球の回転」は、一般のシアターで公開されているわけではなく、
各地で上映会という形式をとっていますが、
ぜひ、原発問題を考える上でも、海外事例を学ぶうえでも、
おすすめの作品です。。