外山滋比古『思考の整理学』続編。
ただ、続編ではありますが、すでに初版より10年以上が
経過しており、文字通り忘却の渦中。
ただ、類にもれず、続編というものは、
精彩に欠ける部分があるもの。
冒頭では、忘却に関する言葉が紹介されています。
「知ることを、ときに忘れることこそ
緊要である。」(イギリスのことわざ)
「思い出は人生の彩りであるが、忘却があってこそ
人生は生きるにたえられるものになる。」
(エンリコ・クラルドニ)
日本みたく記憶力偏重の教育においては、
「忘却は悪」にほかなりません。
「知識と知恵」の関係は、よく「ポンプと水」に
たとえられますが、本当にほしいのは水であり、
それを得る手段としてポンプが必要です。
つまり、知識そのものは、大して役に立たず、
知恵に転化されてこそ、意味を持つわけで、
ある種、知識は記憶力ともいえますが、
それを一旦、忘却し、自らの頭で考え抜く中ことが、
知恵へ転化するという作業だと思います。
ほどよく忘却、整理するためには、睡眠が一番で、
朝は、ものを考えるのに最も適しているのは、
古今の賢人が、異口同音していること。
(立花隆は、完全な夜行性ですが・・)
イギリスの詩人、ウィリアム・ブレイクの詩に
こうあります。
"Think in the morning
Act in the noon
Eat in the evening
Sleep in the night "
また、中国の北宋時代、文章を練るのによい場所を
「三上」として、「馬上、枕上、 厠上」を差し、
現代でいうなら、「電車、ベッド、トイレ」です。
確かに電車は、自分にとっても貴重な時間で、
集中して本を読みますが、
通勤ラッシュがいやなので、朝は一旦、
途中下車して、始発の電車で座っています。
逆に家に関しては、休日でも本を読むことは皆無。
ただ、自分の忘却ぶりは尋常ではなく、
読んだ本の内容を覚えていないことはしばしですが、
映画などに関しては、かなりの本数を観ているのですが、
観たことすら覚えていないのがほとんど。
人の名前を覚えるのも悪ければ、
忘れるのもコンコルド並みに速いです。
「都合よく 忘却しつつ 道楽す」シチョウアタリ