「これでいいのだ」
漫画家・赤塚不二夫の人生は、
このひとことに凝縮されます。
昭和10年、満州生まれ。
父親は、家で刀を抜く厳格な軍人で、
終戦後、シベリア送りとなりました。
終戦翌年、赤塚不二夫は日本に帰国し、
ガキ大将とともに、やんちゃな少年時代。
警察に補導されること5回で、
窃盗容疑で警察署に入れられているのに、
そこにある<郡山警察署>ゴム印入りの伝記本を、
かっぱらうという始末。
彼はもともと絵が好きで、毎日、縁側で漫画を
描いていたのが、手塚治虫「ロストワールド」に、
衝撃を受け、「漫画家になる」と決意。
そうして、19歳で上京します。
「赤貧洗うが如し」で、本当に食べるお金がなく、水をガブガブ飲み、
おかずはいちばん安かったキャベツだけで、
あとは、飯に醤油をかけるワンパターン。
石森章太郎とともに、手塚治虫宅を訪れた時のこと。
「漫画家になりたいかい?」という
手塚が問いかけの後に、こうアドバイス。
「漫画ばかり描いていちゃダメだよ。
一流の音楽を聞きなさい。一流の芝居を見なさい。
一流の映画を見なさい」
この言葉、自分が中学生の頃、音楽の先生が紹介してくれ、
それから自分の1つの指針となっています。
そして、世に名高い漫画家のアパート「トキワ荘」に、
手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎らと住み始めます。
それから、「おそ松くん」のヒットを機に、
「天才バカボン」等の"ギャグ漫画"が生まていきます。
「シェー」「ダヨーン」「ホエホエ」「・・・デヤンス」
こんなセリフに対し、PTAが反発したようですが、
「言葉は生き物だ!」という信念のもと、
彼は自説を曲げませんでした。
現に、井上ひさし、三島由紀夫、大江健三郎、
東海林さだお、伊丹十三なども評価しています。
平成20年8月2日、肺炎で亡くなった
赤塚不二夫。
「私もあなたの数多くの作品の一つです」と、
白紙を手にして述べたタモリの弔辞。
「これでいいのだ」
そんな言葉が、いまにも聞こえてきそうな気がしました。。
- これでいいのだ―赤塚不二夫自叙伝 (文春文庫)/赤塚 不二夫
- ¥600
- Amazon.co.jp