悲劇は突然、訪れました。
11月13日(月)のブログ。
アップ時刻である6時台の方は、
確認されたかと思いますが、
文章がガタガタで、途中で切れているのです。
理由は、パソコンで投稿していた記事を
携帯でログインし、件名のみ修正して、再投稿したのが原因。
しかも、件名を
「結果発表・第一次予選」となっていたのを、
「結果発表・第一次予選(浜松国際ピアノコンクール)」と、
追加しただけ。
本屋でブログの本を立ち読みしていたときに、
件名を工夫するアクセスが増えるというのを思い出し、
わざわざ変更したのです。
それがすべての災いのもと。
しかも、そのブログ。インターネットカフェにこもり、
深夜1時に書き上げたもの。
それも、かなりの長文、力作で、
かつてないほどの自信作だったのです。
翌朝、会社に出社して、ブログを確認したら、
前半途中で、ぷつん。
普段、一旦メモ帳に書いてから、コピペするので、
通常、それがバックアップとして残るのですが、
インターネットカフェだったということもあり、
投稿完了したと同時に、
ご丁寧に、自分で、[Shift+Delete]で、
メモ帳を完全削除してしまっているのです。
朝、会社でブログを確認した時、
あまりのショックに文字通り、両手を頭を抱えながら、
うめいていました。
それが朝、8時10分。
放心状態でしばし、呆然としていましたが、
気を取り直し、記憶をたどりながら、書き直し、
8時50分の始業前に、アップしなおしました。
そこで、すぐ、立ち直れたのも、
あるエピソードを思い出したからです。
それは、サミュエル・スマイルズ著『自助論(Self-Help)』にあります。
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(以下引用)
歴史家トマス・カーライルにも似たような体験がある。
彼は、その著『フランス革命』第一巻の原稿を友人の一人に貸し与えた。
ところがその友人は、原稿を居間の床に置いたまますっかり忘れてしまった。
数週間の後、印刷工から原稿を催促されたカーライルは、使いの者に取りにやらせた。
ところが友人が預かったはずの原稿は、その家の女中が反古(ほご)紙だと思いこんで、
暖炉の火をおこすために燃やしてしまったのである。
ことの顛末を聞いたカーライルの胸中は想像に難くない。
だが、もはやどうすることもできなかった。
彼には、再び机に向かってペンをとるしか道は残されていないのだ。
記憶の糸をたぐり、すでに忘れかけた内容や表現を思い起こしながら、
彼は一からやり直しはじめた。最初に書いていたときは執筆の喜びもあったが、
同じものをもう一度仕上げるとなると、それは苦痛と煩悶以外の何ものでもない。
だが、カーライルはそのつらさに耐え、最後まで仕事をやり抜いた。
カーライルのこの経験は、固い決意さえあればたいていの目標は成就できることをわれわれに教えている
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古典が日常生活に役立つと今まで思ったことはありませんが、
この時ばかりは、古典の効用ってあるものだと感じました。
あとで原因を調べると、自分の携帯が、
いわゆる「推奨環境」に該当していなかったみたいです。
自分の携帯、古いわけではないのですが、
高齢者向けのやつで、すごくスペックが低いのです。
偉人は、こういう体験を肥やしにしますが、
自分みたいな凡人は、いまでもズルズル。
こざかしいことで、アクセスアップしようした罰かもしれません。
気分が向きましたら、書き直した文章、
読んでいただければ幸いです。
結果発表・第一次予選(浜松国際ピアノコンクール)
http://srventryupdateinput.do?id=10387122881