かつて、ブログ(速読 DE シチョウアタリ )でも紹介していますが、
自分は速読ができます。
速読をやれば、
読むスピードは、確実に速くなりますが、
どんな本を読むかは、
結局自分で決めなければなりません。
それは、何気ないことのようで、
非常に大きな問題です。
速読の教室自体は、読むスピードを上げるのが、
目的ですから、どんな本を読むかは、
一切問われませんが、
その本を読む以上は、なんらかの目的なり、
理由があるわけで、いい本を見つけ、
読もうとする努力を怠ってはならないわけです。
よく、ビジネス書、自己啓発書で、
月100冊読んだとかありますが、
自分もやろうと思えば、できると思います。
ただ、それをやる、やらないは、
本人の自由ですし、
それが本当に必要であるかも疑問です。
本をたくさん読むことは可能ですが、
自分にとっては、それに相応した、
消化するための時間、労力が必要となります。
消化するとは、つまり、
本を読み終えて、しばらく時間をおいてから、
自分なりに、思索しなおすということです。
そして、自分の場合は、その考えたことを、
手帳などに、まとめておくのです。
大学時代は、読書ノートをつけていましたが、
今は、手帳に他のことと一緒に、書いています。
たくさん読むことには、弊害もあり、
旧5千円札の新渡戸稲造は、
彼も相当な読書家であり、速読家でもありましたが、
その弊害を、どの意見もいいと思えるようになってしまい、
自分の意見を持てなくなってしまったといいます。
その上で、やはり、自分の骨格、中心となる、
「一書」を持つことの重要性を強調していたのです。
ただ、「一書」といわれても、
簡単に見つけられないのが、
自分の悩みなのでした・・・。