私は、クモ(蜘蛛)が好きではない。
しかし、クモは殺さない主義だ。
今朝、私の寝室の天井に、一匹のクモがいた。
私は家の中に一匹でも虫がいるのを好まない。
そのままにしてはおけない。
いつものように、私は空いたペットボトルを構え、生け捕りにしようとした。
しかし、それを察知し、すばやく天井の電灯の隙間に逃げ込むクモ。
私は、左手に割り箸を持ち、電灯の隙間に差し込んだ。
すると、クモが隙間から出てくる。
そこへすかさずペットボトルの口をクモに近づける。
しかし、再び逃げるクモ。
また隙間へ逃げてしまった。
再び割り箸で外においやる。
私は、右手にペットボトル、左手に割り箸を持ち、天井をにらみつける。
逃げる、割り箸、ペットボトル、逃げる、割り箸、ペットボトル、という同様の応酬が繰り返された。
奮闘すること、約5分。
割り箸に気をそらせ、ようやく、ペットボトルの中にクモを閉じ込めることに成功した。
さて、それをどうするか。
私はいつものように、窓を開け、外に出してやった。
「もう入ってくるんじゃねぇぞ!」と言いながら。
私は、クモが好きではないのだ。
Facebookやツイッターでは報告したけれど、昨日の夜、流れ星を見に行った。
ご存じ「ペルセウス座流星群」の極大が昨日の夜だったのだが、天気予報では「曇り」とずっと言っていたので、半ば諦めていた。
ところが、午後9時頃、車を運転しながら空をふと見てみると、なんと星がちらほら見えるではありませんか!
こりゃあ期待できるかも!
流星ファンの私は、去年のペルセウス座流星群で「完全敗北」を喫したこともあり、今年はチャンスがあれば見たいと思っていた。
加えて、「今日はまだ2500歩しか歩いていない!」ということもあり、そうだそうだ、手賀沼へ行って歩くついでに星を見よう、ということに決めた。
手賀沼に着き、私の愛用のウォーキングシューズ(ナイキ)に履き替え、でも、上はワイシャツとスーツのズボンという奇妙な出で立ちで、私はさっそうと手賀沼の土手の歩道を歩き始めた。
「う~ん、方角によっては雲が多いな。。。」
と多少心配になりながらも、とにかく歩いた。
上を見ながら歩き続けるというのは、結構大変だ。
というより、「流星ファン」として言わせてもらうと、流れ星を見ることができるかどうかは、「上を見続けられるかどうか」にかかっている。
ひたすら「忍耐」が必要なのだ!
首が疲れた、と言って首を下ろしているそのスキにこそ、流れ星が「ピャッ」と流れてしまう。
だから、首は「上」を向いたままの姿勢をキープしなくてはならない。
ところがここで注意点が1つ。
首を上に向けたままの姿勢を続けると、首の後ろのところの血管がつまることがある。
ドロドロ血液の人の場合、血管がつまって「血栓」ができて血管を破裂させたり、あるいは血栓がはがれて身体の別の部位(脳や心臓)の血管で詰まってしまうことがあるとか。
以前、どこかヨーロッパの美術館だか聖堂だかなんかで、天井に素晴らしい絵やら作品が飾られていて、旅行者たちがそこを出た後で「めまい」を起こして倒れることがあるということをテレビで放映していた。
これも同じことで、ずっと上を向いていることで血栓ができて、それがどこかの血管で詰まってしまうことによって起きていると解説していた。
そんな話を知っていた私は、ずっと上を向いているのはまずいと思い、時々、首を下ろして手で首筋をもみほぐした。
そんなこんなで、歩くこと30分。
なかなか見えないな~と思っていた瞬間、その時はやってきた!
カシオペア座よりも右手の方向、方角で言えばほぼ真東の方向に、左上から右下へ、天体を斜めに流れる一筋の光が!
時間にして、「ス~~~」というように、1秒以上はあっただろうか。
流れ星を見ようとしていたくせに、本当に現れると戸惑ってしまう。
「あ!」と思ったらもう消えていた。
うれしさは、いつも次の瞬間にやってくる。
少しの間をあけてから、「あ~、見えた!!」
あまりに嬉しくて、ついツイッターでつぶやいたほどだ。
1つ見えるのと、全然見えないのとでは、その後の気合いの入り方が全然違ってくる。
俄然やる気になって、再び歩き始める私。
そしたら、今度は、また同じような方角に、さっきよりも長~~い流れ星が発現!
さっきより長い、どころか、今までの人生で一番長いんじゃないか?と思えるほどの長さの流星。
「あれ、あれれ、あれれ、あらららら!」と言っている間もずっと流れてた(ような気がする)っていうくらい、長かった!
願い事がすっかり言えるだろうというくらい長い時間だったにも関わらず、なかなかその瞬間には言えないものだ。
願い事というものは、私の場合、たいてい「自分のこと」ではない。
神社とかでお参りするときも、たいていは「自分以外の誰か」のことで祈る。
昨日も、そんな気持ちでいたので、もしかしたら、流れ星が流れている間に願いを心の中で唱えられたかもしれない。
自分のことでないからこそ、願いが叶うと良いな、と思う。
昨日は、結局、1時間の間に4つの流れ星を見た。
ペルセウス座流星群は、今日、明日あたりまで見られるらしいので、皆さんも機会があれば是非見てみてね!
ご存じ「ペルセウス座流星群」の極大が昨日の夜だったのだが、天気予報では「曇り」とずっと言っていたので、半ば諦めていた。
ところが、午後9時頃、車を運転しながら空をふと見てみると、なんと星がちらほら見えるではありませんか!
こりゃあ期待できるかも!
流星ファンの私は、去年のペルセウス座流星群で「完全敗北」を喫したこともあり、今年はチャンスがあれば見たいと思っていた。
加えて、「今日はまだ2500歩しか歩いていない!」ということもあり、そうだそうだ、手賀沼へ行って歩くついでに星を見よう、ということに決めた。
手賀沼に着き、私の愛用のウォーキングシューズ(ナイキ)に履き替え、でも、上はワイシャツとスーツのズボンという奇妙な出で立ちで、私はさっそうと手賀沼の土手の歩道を歩き始めた。
「う~ん、方角によっては雲が多いな。。。」
と多少心配になりながらも、とにかく歩いた。
上を見ながら歩き続けるというのは、結構大変だ。
というより、「流星ファン」として言わせてもらうと、流れ星を見ることができるかどうかは、「上を見続けられるかどうか」にかかっている。
ひたすら「忍耐」が必要なのだ!
首が疲れた、と言って首を下ろしているそのスキにこそ、流れ星が「ピャッ」と流れてしまう。
だから、首は「上」を向いたままの姿勢をキープしなくてはならない。
ところがここで注意点が1つ。
首を上に向けたままの姿勢を続けると、首の後ろのところの血管がつまることがある。
ドロドロ血液の人の場合、血管がつまって「血栓」ができて血管を破裂させたり、あるいは血栓がはがれて身体の別の部位(脳や心臓)の血管で詰まってしまうことがあるとか。
以前、どこかヨーロッパの美術館だか聖堂だかなんかで、天井に素晴らしい絵やら作品が飾られていて、旅行者たちがそこを出た後で「めまい」を起こして倒れることがあるということをテレビで放映していた。
これも同じことで、ずっと上を向いていることで血栓ができて、それがどこかの血管で詰まってしまうことによって起きていると解説していた。
そんな話を知っていた私は、ずっと上を向いているのはまずいと思い、時々、首を下ろして手で首筋をもみほぐした。
そんなこんなで、歩くこと30分。
なかなか見えないな~と思っていた瞬間、その時はやってきた!
カシオペア座よりも右手の方向、方角で言えばほぼ真東の方向に、左上から右下へ、天体を斜めに流れる一筋の光が!
時間にして、「ス~~~」というように、1秒以上はあっただろうか。
流れ星を見ようとしていたくせに、本当に現れると戸惑ってしまう。
「あ!」と思ったらもう消えていた。
うれしさは、いつも次の瞬間にやってくる。
少しの間をあけてから、「あ~、見えた!!」
あまりに嬉しくて、ついツイッターでつぶやいたほどだ。
1つ見えるのと、全然見えないのとでは、その後の気合いの入り方が全然違ってくる。
俄然やる気になって、再び歩き始める私。
そしたら、今度は、また同じような方角に、さっきよりも長~~い流れ星が発現!
さっきより長い、どころか、今までの人生で一番長いんじゃないか?と思えるほどの長さの流星。
「あれ、あれれ、あれれ、あらららら!」と言っている間もずっと流れてた(ような気がする)っていうくらい、長かった!
願い事がすっかり言えるだろうというくらい長い時間だったにも関わらず、なかなかその瞬間には言えないものだ。
願い事というものは、私の場合、たいてい「自分のこと」ではない。
神社とかでお参りするときも、たいていは「自分以外の誰か」のことで祈る。
昨日も、そんな気持ちでいたので、もしかしたら、流れ星が流れている間に願いを心の中で唱えられたかもしれない。
自分のことでないからこそ、願いが叶うと良いな、と思う。
昨日は、結局、1時間の間に4つの流れ星を見た。
ペルセウス座流星群は、今日、明日あたりまで見られるらしいので、皆さんも機会があれば是非見てみてね!
「小は大を兼ねる」というものってな~んだ?という問題。
答えは、、、
この下に、、、
あるよ、、、
もうちょっと下、、、
答え:釣り銭!
10円玉が十分あれば、100円玉がなくても代用できるし、
1円玉が十分あれば、10円玉がなくても代用できる、ということ。
他にもあるか、考えてみよう!
答えは、、、
この下に、、、
あるよ、、、
もうちょっと下、、、
答え:釣り銭!
10円玉が十分あれば、100円玉がなくても代用できるし、
1円玉が十分あれば、10円玉がなくても代用できる、ということ。
他にもあるか、考えてみよう!