昨日、宮城県の南三陸町へ行ってきた。
実際にこの目で見る被災地の光景は、何度もテレビ画面を通して見てきた映像よりも、当たり前だが「リアル」だった。
空間の広がりと、目の前の光景に「ギャップ」を感じるくらい、不自然な気がした。
不自然だが、「リアル」なのだ。
あの津波は、本当に、本当に起きたのだな、と改めて認識した。
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そもそも、南三陸町どころか、被災地へ行こうなどという発想は、先月まで私の中にはなかった。
私は、多くの人が義援金を送ったのと同じように、3月末にはいくらかのお金を日本赤十字社に送った。
しかし、それでは不十分であることを、心のどこかでずっと感じていた。
そんなある日、うちの生徒の一人の「K氏」が、6月下旬に陸前高田へボランティア活動に行ってきたと私に話してくれた。
彼は「この歴史的な出来事をこの目で見ておくことは有意義なことだ」と言った。
単純な私は、「そりゃそうだ」とすぐに思い、自分も被災地をこの目で見てみたいと思い始めた。
思い始めたら、私はたいてい行動に移すのが早い方である。
7月上旬の時点で、既に被災地のどこかへ行こうという気持ちはほとんど固まっていた。
しかし、被災地に行くと言っても、色々な準備をしなくてはならない。
私は被災地へ行くための準備活動を始めた。
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まず、被災地に行く方法として、「ボランティアバスツアー」を検討した。
K氏が6月に陸前高田へ行った時も、旅行会社が企画しているバスツアーで行ってきたとのことだったので、私も同じ方法にしようと思ったのだ。
ところが、私が教室を閉めることができる日程(つまり、生徒が誰も来ない日)に、都合良くバスツアーを実施している旅行会社が1つもネットの検索にひっかからなかった。
バスツアーは、たいてい、前日の夜11時頃にどこかに集合→夜の間に高速道路を走る→翌朝に被災地に到着→1日ボランティア活動→近くのホテルに一泊→翌日帰ってくる、という予定が普通らしい。
しかし、うまく私の都合に合うツアーが見つからなかったので、私は自力で、一個人で行くしかないと思い至った。
被災地はたくさんあり、どこでも良いと思ったのだが、やはり被害の大きいところこそボランティアが必要だろうと思い、そういう観点から被災地を選び始めた。
まずは、私の知人の実家がある石巻市を検討してみた。
しかし、石巻市の災害ボランティアセンターに電話してみると、県外からは「3人以上のグループ」でないと受け入れていないということだったので、1人では無理であるということが判明した。
そこで、隣の南三陸町のボランティアセンターに問い合わせてみると、一人でも受け付けているとのことだった。
そうして目的地を南三陸町に決めた私は、次に、移動手段と宿泊先を検討し始めた。
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移動手段としては、「1. 新幹線&在来線&タクシーorバス」「2. 自分の車」を考えたが、現地での利便性を考えると「自分の車」の方が良いだろうと判断した。
そうなると、高速道路を使って行くことになるが、ネットで調べるうちに、ボランティア活動を目的として被災地に行く場合は、高速道路料金が無料となる「災害派遣等従事車両証明書」というものを地元の各自治体から発行してもらえるとの情報を得た。
このような情報はあまり一般に知られていないようだ。
被災地域の住民が高速道路を利用する際に無料となる制度については知られているようだが、ボランティア活動をしに行く人のためのこの制度はあまり知られていない。
実際、現地で知り合ったボランティアの人の中には、自腹で高速料金を支払って来たという人もいたのだ。
こういう貴重な情報が広まらないのは、やはり国の情報開示の方法に問題があると言わざるを得ない。
まあ、とにかく、そのような情報を仕入れた私は、すぐに私の地元である松戸市に問い合わせてみた。
すると、「災害派遣等従事車両証明書」を発行するには、行き先の被災地のボランティアセンターから「ボランティア受け入れ承認書」を手に入れて、それを提出しなくてはならない、ということだった。
あちこちの情報を得て、あちこちのアイテムを揃えなくては次へ進めないとは、まるでドラクエだ。
などとくだらないことを思いつつ、南三陸町の防災ボランティアセンターのウェブサイトを見てみると、「南三陸町ではそのような承認書の発行はできません」という記載があった(ガーン)。
恐らく、役所の建物も被災しているような状況下において、そのような書類のやり取りをするほどのゆとりがないのだろう。
ところが、同じページのすぐ下には、「どうしても承認書が必要な場合には、電話で対応します」というような一文が添えてあった。
そこで私はそのページ
をプリントアウトし、松戸市役所に持って行った。
すると、担当者の方が「そのプリントさえあれば、証明書を発行します」と言ってくれたのだ。
しかも、ご親切に、「先方がそのような状況なら、きっと帰りの分を発行してくれないだろうから、こちらで往復分、出しておきますよ」と言ってくれた。
これでようやく、高速道路の料金が無料になるための証明書を手に入れたのだ。
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次に宿泊地を決めなくてはならない。
私は、ボランティア活動に行くとは言っても、自分の体調がこわれてしまうような無茶や無理をすべきでないと思っている。
宿泊地も、不慣れなテントで寝たり、車の中で寝たりしたら、その後の授業(本業の仕事)に差し障ると思い、普通のビジネスホテルに泊まることにした。
しかし、南三陸町内には、そのようなホテルはどこも被害に遭い、今はまだ営業していないらしい。
そこで、南三陸町からは少し離れるが、宮城県大崎市内の「古川」というところでホテルを探し、その中の1つに泊まることにした。
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続いて、ボランティア活動に必要なアイテムについて調べてみた。
活動内容は、おそらく「がれき撤去」になるだろうということだったので、長靴よりも防御力の高い「安全靴」と、くぎなどを踏んづけても大丈夫な「インソール(金属製の靴の中敷き)」が必要だ。
それに、雨が降るかもしれないから、上下のカッパも必需品である。
さらには、ささくれた木材を手で運んでも大丈夫なように、「ゴム手袋」も重要だ。
さらにさらに、ホコリや悪臭にも耐えられる「防塵マスク」も入手しなくてはならない。
私はこれらのアイテム・装備品を近くの「ワークマン」で購入した。全部で6,000円くらいだったろうか。
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次に、被災地に向かう前に、「ボランティア活動保険」に入るべきであるとの情報を得た。
この保険は、各市区町村にある社会福祉協議会で取り扱っている。
私は出発日のギリギリ前日になって、松戸市社会福祉協議会地域福祉推進センターへ行き、同保険に加入した。
私が加入したのは「天災Bプラン」というもので、保険料は720円だった。
これで来年の3月末までは、何度ボランティア活動をしても補償される。
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次に、「破傷風」の予防接種をして行った方が良いという話を耳にした。
破傷風は、瓦礫や木材などで切り傷や擦り傷を負った際に、そこから感染する病気だが、予防接種が効果てきめんらしい。
とは言え、他の準備に時間も取られつつ、本業の授業もこなしつつ、英文法解説書の改訂版も作成しつつ、なかなか予防接種を受けに行く時間がとれずにいた。
調べてみると、破傷風の予防接種は、一度受ければ10年間は効き目があるとのこと。
私は、たぶん、16歳の時にアメリカに留学する直前に受けたのだと思う。
あれから10年以上の月日が(というか、20年以上の月日が、あっという間に)過ぎてしまったので、もはや私の体には破傷風に対する免疫はないはずだ。
家の近くの診療所に電話して聞いてみると、1回目の予防接種が効き始めるのは1週間後で、その3週間後にもう1度予防接種を受けると、効き目が100%になる、ということだった。
ところが、私がこれを知ったのは出発日の2日前だったので、その時点で予防接種をしても意味がない、ということが判明しただけだった。
結局、予防接種は次回に見送ることにし、今回は、現地では、擦り傷などをつくらないよう、細心の注意を払うことに決めた。
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以上のように、膨大なエネルギーと時間を消耗する準備を進めていると、K氏が「僕も一緒に行って良いですか?」と言うので、二人で行くことになった。
彼の会社は「ボランティア休暇」を推奨しているようで、被災地へ活動しに行くなら休みが取れるとのことだ。
そういうわけで、7月21日の朝10時に松戸駅で待ち合わせ、私の愛車デミオに乗って、宮城県へ向けて出発した。
予定としては、この日は移動のみとし、翌日、朝9時にボランティアセンターに集合し、夕方までボランティア活動して、その日のうちに戻ってくることにした。
<続く>