今回の地震で、私は、今私がやっている仕事について、より真剣に見つめ直す機会を持てたと思っている。
私の教室は、主に「社会人」を対象としている。
今回のような緊急事態が発生すると、生徒達にとっては「英語の勉強どころではない」ということになる。
私が生徒の立場であっても、同じように思うだろう。
英語の勉強は日常生活に必要不可欠なものとは言えないから、基本的には「経済的」かつ「精神的」にゆとりがあって、心も体も健康な時でないと生徒達は教室に来ない。
では、私のやっている仕事には、どれほどの価値があるというのだろうか?
そもそも、人に何かを教えるという仕事は、どんな価値があるのか?
たいてい、人に何かを教えている人は、「第一線」から退いている人だろう。
人に何かを教えながら、それを実際に「自分で使って」働いている人はどれほどいるだろうか。
私の場合も、国際会議の仕事がなければ「教えるのみ」となってしまっていただろう。
国際会議の仕事があるおかげで、私は「教える」と「仕事で使う」の両立ができているのだと思う。
今回のような地震が起きると、私は教えるのではなく、自分で英語を使うような仕事の方に中心を置いた方が良いのではないかという気持ちになる。
教室も4月末まで休校にしようかな、と思ったりもした。
そして東北の被災地にでも行って、救援活動のお手伝いでもしようかな、と思ったりもした。
あるいは好きな運転の技術と資格を生かして、物流などの仕事でもしようかな、と思ったりもした。
しかし、このことをある人に話したら、次のような言葉を頂戴した。
- あなたくらいの英語力を使って仕事をするのは、あなた以外の人でもできる。
- けれど、あなたのように英語を教えられる人は、なかなか他にはいない。
- あなたが英語を教えた人たちが、それぞれ英語を使って仕事をしていけば、
- あなた一人が英語を使って仕事をするよりも、遙かに大きな力になるのではないでしょうか?
私は、この言葉によって、自分が弱気になっていたことに気づいた。
私にしかできないこと。
それは、今までずっと私がやってきたことだった。
しかも、まだ中途半端なものがたくさんある。
英文法解説書の改訂版も、まだ完成していない。
今週、ようやく第12章「接続詞」の部分に入ったところだ。
読めば理解できる文法書。
誰にでもわかりやすい文法書。
これまでの9年以上の授業経験から、また国際会議での「生の英語」を使った実務経験から、他にはないような文法書を作りたいと思っている。
これを作り、また授業に生かし、試行錯誤しながらより多くの人が英語を身につけられるような授業システムを作り上げること。
これが私がやりたいことであり、やり続けてきたことである。
これをやれる人間は、そう多くはいないと思う。
私には、それができる。
そう思うと、私が今やれることは、「英語を教える」ということを立ち止まらずに進めることではないか。
生徒の中には、本当に真剣に英語を身につけたいと願っている人がいる。
一人でもそういう生徒がいるならば、私は、教室に行って、教室を開けて、授業に来る生徒を迎えたいと思う。
電力需給がひっ迫している今、計画停電によって教室も停電になることもあるだろう。
それはそれで時間をずらすなど対応しながら、私は、私にしかできないであろう仕事を全うしようと思う。