何度もこのブログでも書いてきたが、私は車の運転が好きだ。
しかし、用もないのに運転をするのは、本当に「無駄」だ。
ガソリンの需給がひっ迫している今、ガソリンは無駄にはできない。
私の愛車、デミオの燃料は、今、一番下から1つ上のメモリ辺りまでしか入っていない。
地震発生以来、昨日までは、家と教室の往復、それから必要な買い物の時だけ車を運転した。
それでも、このままでは、あと数日のうちに私のデミオはガス欠になってしまうだろう。
そこで。。。
車に乗るのはしばらくやめることにした。
ガソリンスタンドはどこも品切れ状態で、給油はほとんど望めない。
仮に給油ができるとしても、スタンドに入るまでにかなりの長さの列に並ばなくてはならない。
そういう人たちは、本当にガソリンが必要なのだろう。
病院に行かなくてはならなかったり、物流など車が必要な仕事をしていたり、やむを得ない事情がある人たちなのだろう。
あるいは、中には、必要ないのに世の中の空気が読めずに、我欲が勝って列に並んでいる人が混じっているのかもしれないが。
私の場合、そこまで車が必要というわけではない。電車でも教室に行くことはできる。
電車がなくても、自転車も持っている。
買い物も、近所を歩けばたいてい事足りる。
頑張れば教室までだって自転車で行けないことはない。
幸い、私の足腰はまだまだ健康に動く(笑)。
もちろん、いったん車生活に慣れてしまうと、なかなか車から離れることができない気持ちはわかる。
私だって車がなければ、家を出たいと思わない。
だけど、今はそんなことを言っている場合ではない。
テレビの報道によれば、世界のあちこちで、今回の日本の被災地に向けた活動が行われているらしい。
チャリティーコンサートを開いたり、学校で募金活動したり、あるいは、実際に日本にやってきて、レスキュー隊を組んで救助活動を行ったり。
日本の外にいる人たちが、日本のために、被災地の人々のために、「今できることは何か?」を考え、実際に行動に移している。
日本の中にいる私達には、何ができるだろうか。
どうしても必要でないならば、ガソリンを諦め、車を諦めることはできる。
あまり計画通りに進んでいないように見える(?)計画停電にだって、文句を言わずに我慢することはできる。
不安な気持ちはあるけれど、買いだめをしないで辛抱することはできる。
金額の大小に関わらず、できる限り募金に協力することはできる。
信頼のおける募金団体がどこなのかを調べることはできる。
普段通りの仕事をして、経済活動が止まらないための一助となることもできる。
逆に無駄なエネルギーを使わないように、じっとしていることもできる。
人によって、立場によって、状況によって、能力によって、健康状態によって、皆できることは違うかもしれないが、「今できることは何か?」を自問することは、誰にだってできる。
その「自問する」ということに価値があるのだ、と思う。