英語を教えていると、生徒が「苦手なこと」にぶつかって苦しんでいる姿をしょっちゅう見なくてはならない。
まあ、苦しい状況に直面させているのは私自身と言えなくもないが…
しかし、教師はその生徒の苦しむ姿から目を背けてはいけないのだろうと思う。
私の教室では、英語に関して、「音声学習」と「文法学習」に分けて指導しているが、たいてい、どの生徒も、どちらかが苦手、どちらかが得意、というように分かれる。
両方とも苦手とか、両方とも得意とかいう人は少ない。
一般的に言って、誰にとっても「苦手なこと」というのは、初めからうまくいかないものだ。
逆に言えば、初めにうまくいかなかったから、「自分はこれが苦手だ」という意識が芽生えるのだと思う。
「音声学習」が苦手な人は、決まって「歌うこと」や「リズムに乗る」といった「音」に関することが苦手だ。
一方、「文法学習」が苦手な人は、「理論的に考える」や「言葉とイメージを繋げる」といった「数学的」な思考がうまくできない人が多い。
まあ、「苦手なこと」というのは誰にでもあるものだ。
ただ、一口に「苦手なこと」と言っても、「放っておいても害の少ないもの」もあれば、「放っておいたら非常にまずいもの」もある。
人は誰でも、苦手なことを放っておいて良いか否かを自分なりに判断しながら、日常生活を送っているはずだ。
放っておいても害が少ないことなら、なるべくその苦手なことに出くわさないように、避けていることだろう。
避けて通れるうちは、避けて通るのでも良いかもしれない。
逆に避けて通れず、放っておいて困ることなら、きっとなんとかして、その苦手なことを「克服」しようとするだろう。
ところが、本当なら、「放っておいたら困ること」なのに、当の本人が克服しようとする前に、周りの人間やら環境やらが手助けをしてしまい、ついついほったらかしになってしまうことがある。
そういう環境に慣れた人が、いよいよ自分一人で進んでいこうと思った時に、今まで放っておいた「苦手なこと」が行く手を阻む。
苦手なことは、よほどアレルギーなどの病的なことでない限り、たいていは自力で克服できるものだと私は思う。
なぜそう思うかと言うと、私自身が、これまでに「苦手を克服する」ということを経験したことがあるからだ。
この経験がない人は、なかなか「苦手なことは克服できる」と考えることができない。
一つでも、どんな小さなことでも、「苦手を克服した」という経験があれば、次の苦手も克服できると信じられる。
だから教師は、生徒が自分で「苦手を克服できる」と信じられるように、一つでも「苦手を克服した」ということを経験させてやらねばならない。
それを経験させてやるためにも、「あなたにだって苦手は克服できる」と教師自身が信じてやることが大切なんだと思う。
また、本人にそう伝え続けることが、大切なんだ、と思う。
生徒が苦しむ姿から目を背けずに。