人の成長には「自然な成長」と「異常な成長」の2種類があるように思う。
「自然な成長」というのは、本人の意識がなく、苦痛も苦労も伴わない、文字通り「自然」な成長だ。
成長期に背が伸びたり、歯や髪の毛が生えてきたり、というものだ。
あるいは、毎日同じことを無理なく繰り返していけば、だんだんと無意識に、より上手にやれるようになる。
これも「自然な成長」と言える。
「自然な成長」は、いつも周りにいるような人にはなかなか気づいてもらえない。
周りの人どころか、本人だって自分が成長していることをなかなか認識できない。
しかし、久しぶりに会った人には気づいてもらえる。
「自然な成長」は緩やかだから、ある程度時間が経ってから見ないと「成長ぶり」が分かりにくいのだ。
ところが、稀に、誰の目にも明らかに「急激に成長した!」と分かるケースがある。
それは「自然な成長」ではない。
言うなれば「異常な成長」だ。
本人にとって当たり前のこと、自然なこと、苦痛や負荷のないことを続けていれば、「自然な成長」へとつながる。
逆に、本人にとって「当たり前でないこと」「自然でないこと」「苦痛や負荷のあること」を続ければ、それは急激な成長、つまりは「異常な成長」につながる。
「異常な成長」は他人を驚かせる。
また、本人も「成長しているぞ!」と認識しやすい。
このことが、更なるエネルギーとなり、その人を突き動かす。
しかし、端から見て「絶好調」に見える成長ぶりも、やはり「異常なこと」をしているわけだから、本人にとって決して楽ではない。
教師から見て生徒が急成長を見せている時は、たいていその生徒を誉めたくなる。
しかし、成長が早い時ほど本人の負荷が大きいということを見逃してはいけない。
また、辛い負荷が続いても、成長ぶりがなかなか表面化しないで、本人がただ苦しんでいることもある。
しかし、「普通ではないこと」をしているのならば、必ずそれは「成長」につながるはずだ。
辛い時は上り坂を登っている時だ。
坂の上には、「当たり前で自然なこと」をしていては決して見ることができない景色が待っている。
アメリカに留学していた頃の私もそうだった。
なかなか成長していかない自分にイライラしていた。
毎日がただ辛かった。
思ったことを英語で伝えなくてはならないのに伝わらない。
もっと上手く言いたいのに言えない。
押し込められた世界で、私はただ苦しんでいた。
しかし、それは、今にして思えば、急で長い坂を登っていたのだろう。
一つの坂を登りつめたことがあれば、また次の坂も登れるのだろう。
だから、今これを読んで、今の自分にイライラしたり、ただ苦しんでいると思っている人がいたら、それは「上り坂の途中」にいると思って自分の成長を信じて欲しい。
「異常な成長」は、きっと周囲も気づいてくれる。そして、自分でもきっと気づけるだろう。