英語教師という仕事 | ~俺もないけど心配するな~

~俺もないけど心配するな~

デュープラー英語学院の代表、hisasueの気ままなブログ

私は英語教師だ。

2001年10月に教室を立ち上げてから早8年が過ぎようとしている。
まだまだ未熟だなぁ、と思う。

人に何かを分からせるのは、とっても難しい。
人を成長させようとするのは、とっても難しい。

でも、その難しいことに挑戦している自分って、ちょっと誇らしいかも。


英語を教える対象はもっぱら社会人のおとなである。
大人だけど、うちの教室に来ると、みんな子供のようになる。

答えを教えてくれないことにイライラしたり、自分で答えが見つからなくてふてくされたりする人もいる。

でも、私は答えを教えない。
ヒントは言うけれど、決して答えを教えない。

だって、考えれば分かるはずだから。


そう、「考えれば分かるはず」の答えを、考えもせずに「教えて欲しい」という人が多い。

私の教室では「考えなさい」というセリフが、一日に100回は聞こえてくるだろう。
「考えなさい」と問いかけることが、教師には必要なのだと思う。

「覚えなさい」は楽だ。
「考えなさい」は辛い。

「考えなさい」と言い続けている間は、こちらだってジッと辛抱しなくてはならない。
教える側に辛抱が足りないと、「もう教えちゃえ~」となってしまう。

でも、「考えさせる」ということをせずに、ただ答えを教えても、本当に生徒の中に深く残りはしない。
ただ与えられたものは残りにくいが、自分で獲得したものは深く残る。

でもでも、「考えさせる」ということは、生徒にも、教師にも、大きな負担となる。

この辺りが、ひじょ~に難しいのだ。
「考えさせる」ということは「問いかける」ことであって「答えを教える」ことではない。

時には、あっさり答えを教えることもある。
だけど、それは生徒が「自分で考えよう」と思ってくれている場合だけだ。


自分で考えて、自分で答えを出そうとする人は、自分の人生をハッピーに過ごすことができる。
逆に、いつも他人に答えを求めがちな人は、自分の周りのハッピーに気づくことができない。

英語を身につけようとすることは、自分で答えを出そうとすることに近い。
だから私は「自分で答えを出しなさい」という授業スタイルだけは、どうしてもやめることはできないのだ。