台風10号が、あちこちに爪痕を残して去っていきましたが、私もこの台風のためにひどい目にあいました。

 

もとはと言えば25日(日)に、東京にいる孫を、娘が名古屋まで送ってきたことから始まりました。娘の長男は身障者なので、年に2回検査入院が必要なのです。春休みと夏休みを利用して2泊3日の入院をします。それが今年は8月26日~28日なので、25日に妹であるこの子を私に預けに来たのです。入院中は母親も付き添うので、仕方ないのです。

 

当初の予定では、31日(土)に迎えにまた名古屋まで来てもらうことになっていました。ところが台風が迷走を始めて、30日31日は新幹線が運休というお知らせが出て、どうしたものかと娘と困り果てました。まだ保育園の子なら、台風が行くまで田舎でゆっくりさせてもいいのですが、この子は小学1年生、9月2日には2学期の始業式に行かないといけません。そこで苦渋の決断ながら29日(木)、新幹線が運休する一日前に送り届けることにしました。娘は上の子がいるし、お婿さんは仕事なので出られません。仕方なく私が日帰りで東京まで送ることにしました。

 

29日の朝、ニュースで大雨のためJR紀勢線が三瀬谷までストップということを知り、何とも嫌な予感がしました。車に弱いこの子に子供用酔い止めを飲ませて、松阪駅まで車で走り、そこから近鉄、名古屋から11時台ののぞみにのりました。午後2時過ぎに池袋から近い娘宅の最寄りの駅で待ち合わせ、確かに孫を渡しました。ここまでは何とか順調でした。

 

行きはよいよい帰りは恐いという言葉のごとく、その後は最悪の展開になりました。15時30分発ののぞみに乗ってやれやれと思ったところ、約1時間走って午後4時半ごろ、三島駅で突然止まってしまいました。掛川あたりの大雨で、先に進めませんというアナウンスが入り、また雨が小降りになったら行くだろうと、読みかけの文庫本を読んで時間を過ごしましたが、列車は一向に動きません。そのうちに、「この列車はこだま号として東京に引き返します」と言われ、夜中の12時に東京向きに走り出しました。

 

座席はそのままですから、全員後ろ向きです。約1時間走って午前1時ごろ東京駅着。娘と連絡を取り合い、また娘の家に戻ることも考えましたが、山手線も終電を過ぎて行けません。娘に必死で採ってもらった池袋のビジネスホテルへ行くことにしました。ホテルが取れなかった人には、列車が宿泊用に開放されました。

 

東京駅のタクシー乗り場は当然ながら長蛇の列、30分並んでやっとホテルにチェックインしたのは午前2時過ぎでした。

 

翌日からは娘宅で帰りの交通機関の算段をしました。高速バスが走っている情報からこれも必死で取ってもらい、やっと9月1日の朝9時八重洲口発名古屋行きを取りました。八重洲口のバスターミナルで電光掲示板の「9:00 名古屋駅」の文字を見たときは本当にうれしかったです。でもどのバスも満席の文字がついています。

 

バスが出発して、東名を走るのですが、東名○○という途中の停車場にはどの停車場にも何人ものバスに乗りたい人が待っていて、「名古屋まで」「浜松まで」というのですが、運転手さんは「このバスは満車なので乗れません」と断りを入れていました。立ってでもいいからという人には「法律違反ですので」と言っていました。

 

その人たちはほとんどが外国人です。日本語が得意でない人がネットでチケットを取るのは至難のわざでしょう。気の毒で仕方ありませんでした。

 

東京駅から名古屋駅まで6時間少し、きついかなあと思いましたが、予想に反して快適なバス旅でした。大きなバスなので乗り心地は最高、お天気も意外とよく、座席も一列目で運転手さんと同じ景色が見られて、ちっとも退屈しませんでした。

 

その時ふと思いました。新幹線は速すぎて窓の外の景色を見ることはほとんどないですが、このバスのように時速120キロぐらいが、景色を見るのには一番いいなあということでした。時間に余裕があったら、バスもいいなあと思いました。料金も半額以下だし。

 

この日は近鉄も正常運転なので、無事に帰宅できました。列車に閉じ込められるニュースはテレビで見たことありますが、まさか私がこんな目に遭うなんて、と思いました。

 

境内は今ごろになってやっと、古い百日紅が咲いています。私が嫁に来た頃からあった木です。今でもこの色が一番好きです。

残暑厳しい9月になりそうですね。皆さまお元気で残暑を乗り越えましょう。

お盆が無事に過ぎて、今私はほっと一息、エアコンの部屋でゆっくりしています。今日も外は焼けるような日差しで、写真を撮りに出ただけで、ぐったりしました。南の海には台風10号が出現、来週のスケジュールと照らし合わせて、どうしたものかと思案もしています。

 

25日(日)には名古屋駅まで、東京の孫を迎えに行きます。まだそのころは台風が遠いので大丈夫かと思いますが、この子の兄が検査入院するので、その間預からないといけないのです。新幹線が止まったりしたら大変、どうか無事に行けますようにと祈る気持ちです。

 

毎年お盆前後にはテレビ番組に戦争関連のものが増えます。今年も二つ見ました。

一つは、正式な題は忘れましたが、11歳の男の子たちが、80歳を超える独り暮らしのお爺さんと友達になり、そのおじいさんから戦争体験を聞くという話です。

 

学校の体育館で、語り部として話してくれたお爺さんですが、自分は11歳のころは軍国少年だっといいます。もちろんそのころは、この人に限らず日本中の少年たちは皆、軍国少年でした。

 

話が終わって、質問を受けたとき、同じような11歳の少年から、昔軍国少年だったのが、今は戦争反対にどうして変わったのかと聞かれました。

 

この質問は、この時代を生きた人には皆同じように考えられたと思います。終戦を境に、それまで戦争イケイケだった先生が、教科書に墨を塗るように命じ、180度変わってしまった。それを見て生徒たちもみな、わけがわからないまま変わらざるを得なくなってしまったのでしょう。

 

国中がまるでカルト宗教に洗脳されたようなあの時代、でも反対意見を言うとおまわりさんにしょっ引かれるから誰も何も言わなかったのです。

 

最後に語り部のお爺さんは、こういいます。「人の言うことをうのみにせずに、自分の頭で考えることが大切です」私はこれだと思いました。自分の頭で考える、今の時代は、どんなことを言っても拘束されることはありません。でもみんな自分の頭で考えているかというと、必ずしもそうではないような気がします。

 

その後でもう一つの番組を見ました。NHKスペシャルで「特攻隊」のことを追究した番組です。18歳から22歳ぐらいの今でいう大学生くらいの若い人たちが4000人から6000人くらい特攻隊として命を散らしたのです。こんな残酷な作戦をよくもまあ続けたものかと腹が立ちます。

 

一撃講和とかいう、敵をびっくりさせて、有利な講和を結ぶためらしいのですが、敵はちっともびっくりせずに効果はほとんどなし、でもやめるにやめられず終戦まで続いたのです。

 

先日近くのコンビニへ行ったとき、ちょうど大学生くらいの若者数人がお菓子を買っていました。今から川へ遊びに行く相談をしていました。名古屋ナンバーのワゴン車に乗って(初心者マークがついていた)遊びに来たのでしょう。

 

その子らの屈託のない楽しそうな顔を見ていると、ああ、ちょうどこんな年の子らが戦闘服を着せられて死地に行かされたんだなあと思い、この子らは戦争のない時代に生まれて本当に良かったなあと、少しだけ目がウルウルしました。

 

残暑の中で百日紅が咲いています。

台風の被害が出ませんようにと祈りつつ、次の一週間を過ごします。

今日は8月15日 お盆の行事の中でもクライマックスにあたる大施餓鬼が行われました。去年の8月15日は台風が来たために、お参りの人が少なく、仏教讃歌も歌えませんでしたが、今年は暑い中、たくさんのお参りの人が来てくださり、本堂はいっぱいになりました。用意した椅子が足らなくなるほどでした。

 

一昨年までは、午後一時からの法事でしたが、一番暑い時間帯は避けたほうがいいということで、午前11時からにしました。

法要が始まる前に10分ほど時間をもらい、私の仏教讃歌の時間にしました。

今年歌った曲は、「みたままつりの歌」と「いつか私は」の2曲です。解説を入れて歌いました。

 

私の歌の後は、梅花講員さんによるご詠歌、その後、住職と副住職による大施餓鬼法要です。

 

関東地方は台風のために、新幹線や飛行機が動かなくなっているようで、せっかく帰省した人も落ち着かないお盆だったでしょう。この時期台風が多いのは何とかならないものかと思いますが、自然のなすことは仕方ないですね。

 

寺はお盆の時期、忙しいのは当たり前ですが、それでも息子一家が来てくれて、一緒に食卓を囲んだりして楽しいひと時を過ごしています。昨夜は歩いて行けるところにある、檀家さんが経営する居酒屋に一緒に行きました。お盆と年末ぐらいかな、一年に2回ぐらいしかこの居酒屋はいけませんが、とても楽しいひと時です。

 

この酷暑は台風の雨が行ったら、収まるのでしょうか。早く元の涼しい晩夏になるように祈っています。