今年は11月も割と暖かかったので、薪ストーブに火を入れるのが、例年より遅くなりました。去年は11月に入ったら薪ストーブに火を入れたように思います。

 

薪ストーブの暖かさは、文章では表現しづらいくらいで、火が入ったとたん、思わず笑みがこぼれます。音もなく揺らめく炎を見ていると、心がゆったりと癒されます。

 

最近ネットの記事で、薪ストーブを都会の住宅密集地で炊いたら、近所からクレームが来て困っているという記事が出ていました。煙で洗濯物が汚れる、気管支が悪くなった、など、市役所に持ち込まれてもどうしようもないそうです。

 

煙が出て洗濯物が汚れるのは、薪の乾燥が不十分なせいです。ホームセンターで売っている薪も、乾燥が十分ではなく、自分でさらに乾燥する必要があります。うちは薪を手に入れてから2~3年は軒に積んで乾燥させています。でもこんなことは田舎でならできますが、都会地では無理でしょう。何かと不便な田舎生活ですが、薪ストーブが登場する季節になると、ああ、田舎でよかったと思うのですから、げんきんなものです。

 

これからは、この薪ストーブを中心にまったりと冬を過ごします。仕事を終えてストーブのそばで本を読む時間、手仕事をする時間はまさに至福の時です。真夏のエアコンをガンガンかけて過ごす時間とは、雲泥の差です。

 

12月1日(日)に大台町のフォレストピアホテルで開く私のコンサートも、近づいてきました。プログラムの終わりごろに歌う私のコンサートの目的でもある仏教讃歌。今回は「聖夜」「いつか私は」「みほとけは」を歌いますが、その中でも「聖夜」を練習しながら私は仏教のやさしさを改めて思います。

 

九条武子さんの詩ですが

星の夜空の美しさ たれかは知るや あめの謎

無数の瞳 輝けば かんぎになごむ わが心

 

夜空のお星さまを、ほとけさまの瞳になぞらえています。なんと美しい言葉でしょうか。

 

同じ宗教と言っても、「ユダヤ教の神様は2000年前にこの土地をくれたと旧約聖書に書いてあるから、よその民族は出て行け」と言って戦争をしている国もあるんです。私たちにとっては旧約聖書?それがどうしたと思いますが、彼らの頭の中にはこの言葉がDNAの一部のように入り込んで、その後の人生を作っているのでしょうね。

 

ストーブの余熱で、私は毛布も使わず、羽根布団だけでねられます。恵まれた環境に、ありがたいことだと感謝しつつ、世界がもう少し優しくなりますようにと思います。