昨日は久しぶりにしっかり雨が降って、今日は朝から日差しも強く、春らしい日です。境内の花はかなり早いペースで咲き始めました。

去年は花が早かったけど、今年は、また一段と早いような気がします。

桃です。一週間以上早いです。

ラッパスイセンです。これはいつも枝垂れ桜の時に咲くのですが、もう開花してきました。この花は鹿に食われるのでその点が心配です。3月30日に枝垂れ桜の下で桜コンサートを開きます。今年で14回目ですが、年々開花が早くなり、今年は多分、葉桜コンサートになるのを覚悟しています。来年からは開催時期を一週間繰り上げようかと住職と相談しています。

 

さて今日は東北震災から8年目の日です。テレビや新聞は特集を組んでいますが、私はいつもこの報道を見るたびに、なぜ福島の人達はあんな危険極まりないものを何基も造ることを許したのだろうと、今更ながら思います。被災者にはきつい言葉だけど、何も知らなかった完全な被害者ではないと思うのです。原発交付金で、田舎には不似合いな施設を造ってもらって、有難いなあと富を享受した時期もあったのでしょう。後悔先に立たずとは言いますが、返す返すも悔しいです。

 

もし原発事故がなくて津波事故だけなら、もっと復興が進んで、神戸のように立ち直れたのです。それに私が更にわからないのが、こんな事故を経験してもうこりごりと思うのが常識だと思いますが、まだ再稼動を目指している会社や政治家。いったい何を考えているのか理解できません。

 

今から40年ぐらい昔の話ですが、私が今の大紀町、昔の紀勢町にある大蓮寺に嫁に来た時、近所にある中電の事務所に「灯そう明るい原子の火」というポスターが貼ってありました。これは原発の推進ポスターです。幼児を抱えていた私は母親の直感で、これはとんでもないものだと思い、調べ始めました。案の定これはとんでもないものでした。そしてこれからは紀勢町は原発を巡る悲惨な政争に巻き込まれていきます。隣の南島町との境にある芦浜が狙われたのです。芦浜から大蓮寺まで直線距離で10㎞ほど。事故があれば寺を捨てて出て行かねばなりません。

 

其の後の政争は、思い出すのも嫌な思い出です。原発を造りたい町長が、次々と住民を買収して勢力を伸ばしました。反原発の住民との間に溝や憎しみまでもが出来ました。それまで仲良く暮らしていた住民たちが二手に分かれて争ったのです。寺の嫁という立場ながら私は反原発の立場からいろいろ発信しました。町長のかばん持ちの町会議員が、寺にクレームを言いに来たこともありました。(その人は自分で言いに来る勇気がなくて総代さんが代わりに聴きに来た)住職は「寺の住職は政治的に中立でなければならないということはない。私も反原発の旗を振りたいが、檀家には賛成の人もいるから我慢しているんだ」と言ってくれました。

 

当時の北川知事が白紙に戻すという決断をしてくれて紀勢町と南島町は救われました。でもその後も水面下で計画は続いていたのですが、東北の事故ですべてが終わりました。つらい悪夢のような日々でした。

 

2014年5月に福井地裁が大飯原発差し止めの判決を出しました。その判決文を読んで私は涙を流しました。裁判官にこんなことを言ってくれる人がいるんだとびっくりしました。その時の新聞記事は大切にとってあります。何度読んでも目がウルウルします。

 

『たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これは国富の流失や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことが出来なくなることが国富の喪失である』

 

この判決文をかいた元福井地裁の判事、樋口英明さんは、なんと三重県鈴鹿市出身の方だったのです。そのかたの講演会が4月28日津市のリージョンプラザであることがわかり、私はチケットをさっそく予約しました。今日の朝日新聞にその講演会の記事が出ています。

 

私が前回書いた24時間営業のコンビニも原発も間もなく時代遅れの残念なものになると思います。少し不便でも皆が笑いあって暮らせる生活こそ国富であると、判事さんに代わって言いたいですね。