忙殺の一週間で見たもの。諸々の「書く素材」があるのだけれど、それをどのように書くのか? 仕事の詳細、個人情報等々は一切書けないし、書こうとも思わない。以下、私の「書きたいこと」のエッセンスのみを列記しようと思う。うん、ブログの限界? うん、そうだと邊間補數學好思う。文学の領域へブログが侵入する意味はないと思っている。
世界遺産の一部分であるパリのセーヌ河畔 ディズニーランドと同じレベル そこに、「人のいるパリ」はない だから、「本当のパリではない」のだ もし、旅が観光と=であるならば、そんな旅は、私個人はいらない
たとえば、である 私は、カミサンとリスボンへ行った なにを見たかったのか? ひとつだけだ ペソアが徘徊していた、その足跡と人の臭いだけである
早朝、深夜のパリの、なんと、美しいこと 風景の中に、私も含めた「人」がいると??? 我々は、地球にいらない、と、感じてしまう
いつも、車の中で「TSF JAZZ」のラジオチ邊間補數學好ャンネルを聴いている
早朝深夜で聴くそれは、私のアイデェンティテーへ侵入してくる
そして、私という個人の思惑の中へ、もっとも染み込んで来る音が分かった。
マイルス?デイビスとビル?エバンスである。
どうしてなのか、やっと、分かったのだ。彼らは、聴き手へ向けて音を出している。巨大な自己中の城であるパリで、それを聴くと、なおさら、それが、良く分かる。
音は、コミニケーションの原初的なもの。
どうして、我々はいがみ合うのか、本当に分からない。ユートピストでなにが悪い? と。
早朝五時、人気のないパリの大通りを一台の黒いベンツが通り過ぎて行く。車内にはジャズ専用ラジオ局TSF JAZZからマイルス?デイビスのソーワットが流ス、コルトレーンのソロのあと、超絶的に色っぽいビルのピアノソロが始まる。この車を運邊間補數學好転する男もジャズピアニストの端くれなのだ。人のいないパリのなんと美しいことか! と、男は毎々思うのである。自分のことは棚に上げているけれど、そう思うのだ。