読ませて頂いに落語 | dunmingaaのブログ

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私は、昼から赤ワインを飲みだし、夕方、ピアノを弾いた。とても静かに。バラードばかりが脳内から出てくる。そういう時は、そのままにする。弾きながら、随分、昔に見た大島渚の「戦場のメリークリスマス」を思い出した。ラストシーンの北野武の台詞が鮮明に蘇る。頭の中が小説執筆で一杯になっている。諸々の形を考える。この諸々を小説にした方が、面白いなぁーと本当に思う。しかし、正直に書いてしまうと、私の小説10作品。「日本のマーケットでは」、1作を除いて、まったく出版の宛てなし であった。つまり、「商売にならない」のだ。これをどのように理解するかが鍵なのである。私はマーケットを意識して書いたりは一切しない主義であるけれど、書いても書いても「燃えるゴミ」では、こちらもしんどいのは人情である。当然にして、人間心理では、「芸能人のくだらん本を出すなら、なぜに、俺の本を作らん」と人のせいにするわけだ。とはいえ、1作はちゃんと本になっているから、ぎゃーぎゃーいえないけど。

久保の兄貴「線引きのない世界。自分を続けるだけだ」。これは本当にそうなのだ。しかし、サハラ砂漠のど真ん中での執筆。自閉症になってしまう。読み手のいない小説は燃えるゴミ。この気持ちの逆噴射を乗り越えて書けるのかが鍵なのである。

と、偉そうに、なんか「私は才能に満ち溢れているのに」という文章だ。単純に、「才能がないのだ、ちみは」という解釈も十二分にある。スローさんの記潔面 事をの「欲耳」について書きたくなった。山下洋輔のエッセイの中に出て来た。

たとえば、もう一人のジャズピアニストがいる。自分と同等に聴こえたならば、聴いた本人は、その人の下のレベル。ご理解頂けましたか? 凄いぃと思ったら、その差は本人が思っている以上。こんなもんなの? 自分と同じレベル。わっわっわっ、いもぉ、自分の方が多少上。

人間としての出来の上下はまったく分からない。ピアノに特化して書いてみると、そう、不思議なのだ。他の人のピアノを聴いて、うん、上手いなぁ、俺より。と思うことが段々多くなって来ている。これは、明らかに、私のレベルがかなり向上しているという証なんだろな。

人間性? 見てくれ? そんなに悪い人ではないし、そんなに不細工ではないんだけれど
なぁー、と思うということは、「欲耳論上」、相当にreenex 效果 いい人でハンサムなんだろな、俺って
よっ! なんだょー、その結論っ! いい気なもんだね、裕センセ。

理論上は、そういう結論になる。はずだ。ぎゃ。それを書きたくて書いたわけじゃ、もじもじ。
暇だ暇だと欠伸をしながら、暖冬快晴の空を見上げていたのだけれど、本日からいきなり在宅勤務となった。