文字を見つめていて、こんな感覚を経験したことはないだろうか。
たとえば、「信」と言う漢字を見ていたとしよう。
ある瞬間から、いままで思っていた「信」と何かが違う。
あれ?
「信」ってこんなカタチだったっけ?・・・って言う感覚。
ためしに、ここにある「信」の文字を30秒ほど見つめてみると、すぐにその感覚がわかる。
30秒もいらない。おそらくは、数秒でしょう。

いかがです?
ちょっと目眩がしませんか?
これは「ゲシュタルト崩壊」という現象。
文字は、いろんなパーツが集まって、全体のカタチができている。
人間というものはオモシロいもので、意識を凝らして、ジッと見つめていると、
部分部分のパーツに意識が向き始める。
部分部分を意識し始めると、文字全体のカタチを判別できなくなってしまう。
すると、
あれ?
「信」ってこんなカタチだったっけ?となる。
さてさて、このかくも不思議な「ゲシュタルト崩壊」は、文字だけに起こるものではない。
アナタの周りのあらゆるところで起きている。
こんな経験はないだろうか。
たとえば、旅行に行くのにパスポートが必要になったとする。
あれ、どこにしまってたっけ?
しばらく使ってなかったので、どこにしまったか思い出せない。
思い当たる場所を、一通り探すが見つからない。
焦り始める。
ココだと目星を付けた場所には、ことごとく、ない。
焦る。
かれこれ1時間ばかり探し続けたが、見つからない。
もー探すの限界。
疲れた・・・。
そうだ、旅行カバンでも用意しよう。
なにがいいかなぁ。
リュックだとゴチャゴチャになりそうなので、キチンとまとまるようにしたいなぁ。
なにがいいか・・・。
そうだ、そうだ、スーツケースにしよう。
もう意識はスーツケースへ。
さきほど開いた引き出しを、ふと見ると、そこにはパスポートが・・・。
あれだけ探しても、見つからなかったのに。
探しているときには、出てこない。
で、探すのをやめた途端に見つかる。
視野の中心にあるものは、最も良く見えているはずなのに、
見つめ過ぎると、見えなくなってしまう。
考えの中心にあるものも、良くわかっているはずなのに、
集中し過ぎると、わからなくなってしまう。
ココからが重要。
原理がわかれば、対処がわかる。
デザインをしていて、
あーでもない、こーでもないと、あまり長く見過ぎると、
作っているものが、いいデザインかどうか判断できなくなる。
そのときは、しばらく別なことをする。
1時間ほどして、デザインをみると、なんとビックリ。
善し悪しが、たちまちわかる。
このブログだってそう。
文章をず~っと書いていては、いい文章かどうか判断できなくなる。
かくして、ひと通り作ったら、1時間ほど、別作業。
人間と言うものは、長時間、同じことをしてはイケナイようにできている。
いい作品を創るためには、一度作品から離れることが必要不可欠。
というわけで、ボクも気分転換。
いい作品を創るために1地時間ほど、録画していた「リンカーン」観ます。
