誰に、どんな価値を、どんな方法で与えることで収入を得るか・・・。
経営理念の中に、その答えを入れておかないとならない。
さて、コンセプトの無い集団とは、どんな状態になるか・・・。
つまり、背骨が身体を支えない訳だから、あっちへふらふら、こっちへふらふらして、ひとつ方向になんて進めません。
という事で、本日も理事と面談約2時間。
近いうちに、もう一人の理事と3人で、今後の水面下の事業計画を立てて、戦略的に急展開をさせないとならない状況です。3月リミットで、どこまで運営の状況を正常に戻せるか
ワクワク、ドキドキです。
背骨、屋台骨をしっかりと作って、継続性のある事業にしていく必要があるのです。
それには、利益事業、非営利事業の完全な会計上の分離と、利害関係の明確化、非営利事業における「受益者」の利用による向上を図ることがなされないと、ただぬるま湯の中に2年間つけて、ふやけた人材の押し出しになりかねない・・・。
今の状態「受け入れない社会が悪いんだから、その社会を変えてから受け入れてもらう」という姿勢。
これを、「社会で活躍できる価値を持っていて、それをある期間でこれだけ価値の増加をいたしました。艶艶にリフレッシュした人財を生かしませんか」という姿勢に変えて行く事。
それが叶わない人に対しては、「福祉」というセーフネットを設けておくだけの話。
金稼いで「税金」を納めるだけが、人間の価値ではない。
うん。「そういう人になりました・・・」
つまり、「そういう人じゃないと、社会で価値がありません」と裏返しにすると言っているのか・・・。
人の価値がどこで決まるのか・・・。
「これはどこ?」と、聞きながら。
「じゃあ、ヒントね。今、作ろうとしているパズルのピースと同じ色のピースを探して集めてみよう。それから、組み立てようね」と言ったら、私よりも早くそのピースを探し出すことができる能力。そして、考えて組み合わせていくことができる。
たとえ、経済社会で生かせなかったとしても、それだけで十分魅力的じゃないかなぁ・・・。
それを周りが余計な手助けをする。
「どうしてほっといてくれないのか」と、誰だって怒るでしょ。
「イライラするなら、もう止めなさいっ」って、それは違うよ。なぜ、解らないのだろうか・・・。
「別の文化」で生きている。
その「別の文化」を体験しているかのように語ることが、「可能性」の否定になっていないのか
わたしには「別の文化」は解らない。だけど、少なくても共通の部分では通じるところがあるのじゃないか。
その共通の部分でコミュニケーションを図ることが、「理解」の部分を増やしていける気がする。
それを「寄り添う」事と言わないのか?足の機能を失った人に「立ってみなさい」と言う事と同じだと言った。
出来ない事を「やりなさい」と言っているようなもんだって・・・。
でも、「できるのなら、やってみたい」とは、思っていないのか?
足の機能を失った人は絶対にそう思っている。だから、頭から出る信号をキャッチして、足を補助してくれるロボットが生まれるんだ。
それは、間違いかな・・・。