スーパーさんは、おっしゃった。
「自己概念」は、一生変化していくと・・・。
さて、この自己概念は、「自己」と「概念」と「認知」によって出来上がっています。
まず、「自己概念」は「自分はこういう人です」と、自分で認識している部分です。
その「自己」があって、外界からの「自己」に対する刺激があり、それを「認知」することにより、「自己概念」は変化します。
ハンサムの基準が国によって違うように、ある国にいる「イケメン」が別な国に行って「ダサ男」とされてしまうのは、この「自己概念」の変化に相当するでしょう。これを「強化」というようです。
そして、このようにマイナスに変化することを「否定的自己概念」といいます。
さらに、幼い頃に「分化」が始まり「自我」の目覚める頃に、「自己概念」は、近しい同性に「同一化または同一視」をするようです。
わたしの場合、不思議と両親のことよりも姉との事の方が記憶に残っています。
近しい同性であった姉に「同一視」していたのかもしれません。
思春期は憧れてましたからねぇ・・・。
ですが、わたしのこの「同一視」は第2段階の成長段階を過ぎた辺りから、「否定」され続けて行きます。
歪んだ「自己概念」は、その基である「自己」の確立をも妨げてしまいました。
正常な成長曲線を描けずに、常にコンプレックスを抱きながら、「否定的な自己概念」を作り続けてきたのです。
そして、外界より望まれた「自己概念」を創り出す事で、生き延びようとしていろいろな事を身につけましたが、結局無理が生じて、必ず破綻してしまっていたのです。
そのことによって、今の状態があるとすると、なかなか「強化」があったとしても、プラスの方向に働くことは少ないみたいですね。
さて、この状況を脱出するのに、必要な場所だったのが今の職場です。
マイノリティとしての「自己」をすんなりと受け入れてもらえる環境は、何とかマイノリティからの社会へのアプローチをと、プラスの方向に動かしてくれました。
もしかして、お金を稼ぐ手段みたいに考えられているかも知れませんが、適当に生活して行ければいいかなと思っているので、利益を貪ろうという考えは毛頭ございません。
逆に、マジョリティと同じステージで、勝負できる能力を何とか産み出すしくみ作りを楽しんでいるだけなのかもしれませんね。
さて、スーパーさんはおっしゃった。
「自己概念」は一生変化していくと・・・。
今のわたしの状態、1年前とも、2年前とも、全然違います。
いい、仲間に出会えたと感謝しているのです