経営学やキャリアカウンセラーの勉強をしたりして、人生のプランなんてものを考えたりした。
高校生の頃、公務員の父に、「進路が計画的でない、人生設計をしろ」と言われ、好きな道に思いきって進むことに罪悪感を持つようになった。
だけど、自分の人生ってなるようにしかならない。
カウンセラーに「『あきらめる』ことが必要ですよ」と言われた事がある。
「あきらかに認める」ことらしい。
何を認めるのか?
ネガティブで、自分に自信がなく、臆病なこと?
思考の癖
だから、それを認めると、生きやすい。
「あぁ、またそんな状態になっているな」と
人の一生は、刹那だ。
悪く使われる事が多いが、「刹那」は、一瞬の事。仏様の指を弾く間の時間。
その時間しか与えられていない。
生きる事は、その間にやることしか与えられていない。
中途半端でも、しっかりした人生設計を立てていたとしても、抗えない何かがある。
だけど、それらは無秩序の中に存在するのではなく、全てはある方向に誘われた作為ある連鎖。
大きな存在の、大きな時間の流れの、秩序だった行動。
あれこれ、考えても所詮は今しかない。
今を尽きるまで継続する作業が、つまりは「生きる」こと。
キャリアカウンセラーの仕事って、未来を作るために、今を計画すること。
矛盾。矛盾。矛盾。