1985/9/1 ムック「神聖クラッシュギャルズ」その② ダンプ4年の回り道 | 時系列でみる! 極悪同盟 ダンプ松本 ファンブログ

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極悪同盟(特にダンプ松本さん)のプロレスを時系列で整理します。思い入れのある雑誌処分のためブログに残して廃棄します。「テーマ別」で時系列で閲覧することができます。妄想で書くこともしばしばですが1年(+α)かけてやる予定です

1985/9/1発売のムック「神聖クラッシュギャルズ」(徳間書店)に極悪同盟が掲載されていたので引用します。

今回はダンプのインタビューです。

 

 

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極悪同盟・帝王の"4年のまわり道" ダンプ松本

 

意外!増えつづける極悪ファン
 

これまで送られてきたカミソリが30本。 

「カミソリ好きだっていったら送ってこなくなったけど、こないだ久し振りに送ってきましたよ」
つぶした竹刀が、今年になってすでに56本。
「1試合もたないこともあるからね」
身の危険を感じることもしばしばだ。

「最近は椅子がとんでくるからね。 お客が荒っぽい会場だと、花道を引き上げる時、刺されるんじゃないかと思う時もある。いつも竹刀を持って、スキを与えないようにして帰れっていわれてるんだけどね」


それでも平気。「ファンなんかひとりもいな くていい。人気なんてなくてもいい」と豪語する。
「会場で、"ダンプ! ダンプ!" なんて応援されたら、バカみたい。それより、相手を応援してくれてるほうがやりやすい。 やっつけてやると、ファンが泣くの。それがうれしい、たまらなく」
 

にもかかわらず、2年めの斉藤真知子が極悪入り、新人の中にも悪役志願者は多数。 ダ ンプ松本のファンもふえる一方だ。 「ファンなんて、うるさいからイヤだ。遠くからそっとみてる子はかわいくて好きなんだけどね、入口をとりかこんで、どけっていうのにどかないやつ、大きらい。でも、私がでてくと、みんなパッとにげるから、そうゆうの快感だけどね」


人間の心のどこかには、"悪"に憧れる部分がある。男子プロレスにも、狂暴なタッグ・チーム、ザ・ロード・ウォリアーズというのがいて、すごい人気になっている。ダンプ松本もまた、"悪"のひとつの形か。
 

「痛くされるとアタマにくる。相手が憎くなる・・・ふつうそう思うでしょ。 それをリングでやってるだけ」
ただし、ダンプがこうした形を表現できる ようになるまでには、4年のまわり道をして いる。

 

 

"ダンプ松本"までのまわり道
 

その4年間を、ダンプは一言 ―「おちこぼれ」
「最初のうちはよかったんだけどね、すぐカべにぶつかって。"ダンプ松本"になるまでは、 ほとんどおちこぼれでしたよ」


昭和55年8月28日、東京・田園コロシアムでデビュー。同じ日に、千種、大森ゆかりもデビューしている。
「ナッちゃんは恵まれてどんどんやってたけ ど、千種と私はね、旅にもつれてってもらえなかったし、試合もなくて、しょっちゅう寮に残ってました」

 

気晴らしに、ダンプが運転する車に千種がのって、湘南海岸までドライブしてたのもこのころ。時の流れとはおもしろい。
そもそも、スタートからしてつまずいていた。
中学で水泳、高校でアーチェリーと、どち らも全国大会に出場したほどの実力だったのに、高校2年生の時、ビューティー・ペアのジャッキー佐藤に憧れてプロレス入りを決意。 3年生でオーディション合格。年齢的に遅い入門ながら、ここまではまずまず。つまずくのはそれからだ。

 

プロテストには4回めでやっと合格。その間、女子プロレスに入社して、営業の仕事もやった。
「1カ月だけだけどね、宣伝カーでまわりながら練習してた」
それに、「ジャッキーさんのそばにいたい」 と思って入門したのに、すぐに悪役に。
「最初は抵抗ありましたよ。でも、プロになったら自分でやっていかなきゃならないし、 自分はどっちに向いてるかを考えるとね、悪役のほうがいいって選んだの」

 

ここで悪役に徹しきれていれば、もっと早く浮かびあがれていたかもしれない。デビル雅美がまだ悪役で、デビル軍団を率いていたころ、本名の松本香で試合をしていたダンプ は、大きな体が幸いして、それなりに目をひ いた。
"松本香"のころは、悪役に徹しきれずに遠慮のしっぱなし。
負けてばかりいても、別に気にもならなかった。よく、欲がないって怒られてましたよ。全然なかったもん。そんなに相手が勝ちたいなら、勝たせてやればいい と思ってた。やる気がないって思われてましたよ。なかったですけどね」
 

その理由をこう説明する。
「大きなチャンスもなかったし、燃えるような試合もないし、客もいないし、今みたいな活気も全然ないから、なんとなく試合してるだけでしたね」
同じように恵まれないスタートをきり、ま わり道してクラッシュ・ギャルズにたどりついた千種はまわり道を"糧"にしてきた。

ダンプは、この時代のことを今になって悔やんでいる。
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デビル軍団解散して大変身
 

やっときっかけがもてたのは、デビル軍団 解散の時だ。
「デビルさんが木力やチェーンはもう使わな いっていうから、ユーさんと反発したんです。 それに、いつまでもデビルさんの下にいたら、超えることができないから」
リングネームを、ダンプ松本に改めることにもなった。
「名前だけかわってもイメージがつかないから、目立つように髪の毛も染めたの。 はじめのうちはふつうの化粧だったんだけど、それじゃすご味がでないから、今みたいにしたの。自分で勝手に塗ったくってるだけだけどね」 

 

派手で、おそろしげなメイクは、ダンプのイメージだけでなく、気持ちまでもかえた。

「やる気がでますね、やっぱり。もう、悪役になりきれるしね」
今や威風堂々。憎まれれば憎まれるほど、やる気になってくるという。

 

「お客も入ってるし、自分のやることでお客もわくし、試合がおもしろくなってきました。デビルさんは、ベビー・フェイスに転向したけど、私は、極悪のままやめていきたいと思う」
 

変身は見事に実を結んだ。そして、まわり道を悔やむ。
「"松本香”のころは目的もなんにもなかった。 今になって考えると、自分の気持ちのもち方が悪かったんだなあって思いますよ。早いうちに、今みたいな気持ちがもててたら、おちこぼれが長く続かずにすんだのに」 

 

クラッシュ人気で、女子プロレスに活気がでてきたことが、一面ではダンプのやる気に火をつけた。そしてそのために、クラッシュのファンは、さんざん泣かされることになってしまった。
 

女子プロ1の巨体の悩み
 

入門時73kg、以来、一度もやせること なく、現在、女子プロ1の重量を誇る。この重量が、少なくとも今は、ダンプのプロレスに、大きな幸いとなっている。 しかし、長いこと、逆に災いとなってもきた。


「年じゅう、ヒマさえあればやめたいと思ってた」という新人時代もそう。 

「練習が今とは比べものにならないくらいきつくて、体が大きいから練習についていけないのね。腕立て50回やれっていわれても20回しかできないし。それでよけいにシゴかれるんで、よく泣いてまし たよ」
この時期を、「イヤな思いだけしてやめ たら、なんのためにやってきたかわかんない。1回くらいはいい思いがしたい」 と乗りきったあと、体の大きな人独特の、あせらず、さわがず、のんびりとした考え方がある意味では、さらに長く続くおちこぼれの時期を招く。


「ジャガーさんにいわれたの。悪い時があればいい時がある。いい時があれば悪い時がある。順番なんだって。あ、そうなんだ。いつか順番がまわってくるから、それまで待ってようって感じでね」
大ファンの中村雅俊のラジオ番組に出演した時、少しでも体を小さくみせようと、窮屈な姿勢をとりっぱなしで肩がこったとか、洋服が選べないとか、夏の暑さが人一倍こたえるとか、悩みは尽きない。
「でも、ダイエットすると、スタミナがもたなくて、2日くらいすると声がでなくなっち やうから、やめるまでやせることできませんよ」
でも、やっとやる気がでて、今に 「満足しています」 というダンプは、当分、体重の悩みとも戦っていかなければならない。

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ダンプの入門から現在までを非常にコンパクトにまとめた優秀な取材記事です。

この頃はかなり極悪ファンが増えていましたが、やはりクラッシュファンからは「殺せ」と言わんばかりに椅子が飛んできたりと、地方会場では混乱だったようですね。

 

ダンプのプロテスト4回目で合格と書かれています。1回目は飛鳥が合格したとき、3回目は大宮スケートセンターで落ちて、その場でバーベル100回をあげて4回目で合格したとすると、2回目は一体いつ? よくわかりません。

 

ジャガーから「いい時があれば悪い時もある」という助言をもらったことが書かれています。ジャガーもチャンピオンになってから苦労しているので、耐えることを松本にアドバイスしていたようですね。