1984/10/27 斉藤真知子(コンドル斉藤)vs永堀一恵 将来は漫画家になりたい | 時系列でみる! 極悪同盟 ダンプ松本 ファンブログ

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極悪同盟(特にダンプ松本さん)のプロレスを時系列で整理します。思い入れのある雑誌処分のためブログに残して廃棄します。「テーマ別」で時系列で閲覧することができます。妄想で書くこともしばしばですが1年(+α)かけてやる予定です

AJWW 1984/10/27 埼玉県飯能市体育館 斉藤真知子(コンドル斉藤)

Evito-X-PuroさんのYoutubeから

 

1:00~くらいから

 

(↓AIでフルハイビジョンに変換した動画です)

 

 

今回は後に極悪No.3となるコンドル斉藤のテレビ初登場と思われる試合を見ていこうかと思います。
→1984/9/4の対中野戦がテレビ初登場のようです。
 
まず斉藤真知子について、分かる範囲で記載しようと思います。
昭和59年組みの一人。59年組みは下記の9名が合格しているが、一年後に残ったのは、斉藤と永堀一恵だけだったと思います。
両者とも空手の山崎照朝に入門して、空手殺法を身に着けていました。
 
 
(好きだぜコノヤローより)
 
(素顔の女子プロレスより)
 
コンドルの体型は、極悪同盟の中では痩せていて、珍しいタイプでした。
私はスマートな雌豹という感じで私は好きでした。
他の選手がみんなダンプの格好を真似て、影武者のようになっていく中、コンドルだけはちょっと違う路線というか、痩せていて、シャープさがあり、見分けがついて良かったと思います。それでいて、一番ダンプに忠実で信頼を寄せていてた、そういう選手だったと思います。
本人が元々タイガーマイク(佐山)が大好きで、漫画家であり、なにかメルヘンチックなところがあり、女性ならではのダンプ松本への一途な想いみたいなものを一番感じる方でした。(ダンプがジャッキー佐藤に憧れているのに近い感じがします)
 
ブル中野に、プロレスを辞めようか思っていたところを拾ってもらい、ブルにも恩義を感じていました。極悪同盟に加入後は、視力が悪かったり、試合でもなかなか勝てずで、ダンプに怒られて、伸び悩みます。何度も「もうプロレスをやめよう」と自身の不甲斐なさからそう思ったようです。ブルとは全然違っていて、彼女からリングの上の悲鳴というか、哀愁のようなものを感じる時があります。
 
(リングスター vol.24より)
 
ファイトスペシャル1より--------------------------------------
彼女は女子マットでは数少ないチャキチャキの浪速っ子だ(守口市出身)。
そんな斉藤のルーツを知ろうと斉藤さんの実家を直撃。ご両親からお話しを聞いた。
「親の口からいうものなんですが、小さいときから責任感の強い子でした」とご両親。
「それに、一度言い出したら絶対にあきにめない性格なんですよ。お父さんにしかられても、自分が悪くないと思ったら真知子、間違っていない!と主張できる子でした。
だから、女子プロ入りを決めたときも、私たちは何も知らなかったからビックリしたんですが、手をついて"どうか、私の思う通りにさせてください"っていう真知子を見て、ああこれは本気だな、と思ったんです」とお母さん。
「入門するにあたって、少しも悪くない盲腸を手術していったんです。デビューしてから盲腸炎になると、みんなから遅れてしまうから、と言いましてね」とお父さんも我が娘の気力には脱帽というところ。
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デラックスプロレス 1987.10号より----------------------------
聞き手「漫画家になりたかった真知子ちゃんが、180度方向を変えてプロレスラーになってしまったのはなぜですか?」
斉藤「実はね・・」
聞き手「はい」
斉藤「私の初恋の人って、タイガーマスクなんです(笑)」
聞き手「えっ、初代タイガー!?」
斉藤「テレビでタイガーマスクを見て、大好きになっちゃって、絶対にこの人と同じ仕事をするゾ!って決めて。そしたらもう一途ですかね、頭の中をプロレスが占めちゃったんですね」
聞き手「恋する女の一途ってとこね(笑)」
斉藤「漫画家は年をとってからでもなけるけど、プロレスは若い時にしかできないから、先にやってしまおうと思ったんです(笑) 」
聞き手「あとは結婚だけですか?」
斉藤「ジャッキー・チェンのような人とね(笑)」
聞き手「タイガーマスクからジャッキー・チェンへと好みは移り変わっていったのでした」
斉藤「まず、第一条件として体のでっかい人が好きなんです。それから、面白くて、やさしくて、いつまでも少年ぽさの残っている人
聞き手「早く巡り合って、幸せになってください。思いっきりリングで暴れてね」
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コンドルが好きな「体が大きくて面白くて優しくて少年っぽさが残る人」というのを「少女っぽさ」に置き換えたのが、まさにダンプ松本だった、という風にも感じるのですが、邪推でしょうか(^^;
 
また、コンドル斉藤は、極悪アートを完成させた人でもあります。
ダンプの頬や腕、太ももに描かれたペインティングは、ロックスターにもあまり見たことがない、プロレスラーならではの全身アートです。ダンプが太っているからこそできた、岡本太郎もびっくりの一種の人間アートを生み出します。これがコンドルの一番の才能(プロレスのことで褒めなくて申し訳ないのだが)だと思います。
 
 
さて、この試合を見ていこうと思います。
相手は同じくプロテストに合格してテレビ初登場の永堀一恵です。
 
 
志生野アナ「山崎さんが教え込んでいたクラッシュギャルズは大変な人気になりましたね」
山崎「そうですね」
志生野アナ「また若い選手のトレーニングもやってくださっているそうで」
山崎「ええ、永堀君と斉藤君はですね、20日から約一か月ちょっとやってます」
 
 
志生野アナ「いま紹介されましたのが斉藤真知子選手であります」
志生野アナ「実は永堀一恵、斉藤真知子両選手は、実践空手、極真空手の山崎照朝さんのところで現在特訓に次ぐ特訓を受けているわけでありまして、放送席には山崎さんにおいでいただいて、教え子のデビュー戦みたいなもんですから解説をお願いします」
志生野アナ「宮本さん、本当に注目を集めている永堀、斉藤ですよね」
宮本「そうですよね。今年のオーディション組の中ではこの2人が一番最初にプロテストに合格したわけですからね。エリートの一番星ですから、どんな試合をするか楽しみですよね」
 
 
うまく伸びた蹴りが喉にヒット。空手技です。これは効きますね。
 
 
両者とも山崎照朝の指導を受けているだけあって、一風変わった空手の技を次々に出していきます。空手はタイミングが難しいので、きちんと決まれば相手に相当のダメージが与えられますが、タイミングよく当てるには、初試合では難しかったでしょうね。
 
 
途中からはキックボクシングスタイルも取り入れてきます。当時UWFが流行っていたので、このようなシュートスタイルは新鮮でした。ただ、いまみると普通にプロレスしてますね。
 
志生野アナ「キックボクシングなんかもおやりにいっていたでしょう。これがそうでしょう?」
山崎「これね、普段は道場でやっているんですが、もっと遠慮なくボンボンやっていってって言ってるんですが、タイミングが合わないですね」
 
 
ここから試合は抑え込みになります。新人はすべて抑え込みルールなのでガチですね。
斉藤が永堀を抑え込んで勝利しました。
 
 
私は斉藤は「コンドル」時代のメイクが印象に残っているので、新人の頃の顔はどうも違和感がありますが、なにわともあれ、テレビ中継初戦では勝利を収めました。
 
 
試合後は永堀も笑顔で斉藤と握手をしています。最初のテレビ中継という緊張感の中でよく戦ったと思います。この2人は生涯のライバルとなります。59年組みで唯一残った2人はとても仲が良いのですが、1985年4月にはコンドルは極悪星へと旅立っていきます。