1982年 女金太郎と呼ばれる松本 食費が全然足りない!! | 時系列でみる! 極悪同盟 ダンプ松本 ファンブログ

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極悪同盟(特にダンプ松本さん)のプロレスを時系列で整理します。思い入れのある雑誌処分のためブログに残して廃棄します。「テーマ別」で時系列で閲覧することができます。妄想で書くこともしばしばですが1年(+α)かけてやる予定です

ジャパン女子プロレスさんのYoutubeより

AJW 1982 05 10  

マスクドユウ・松本香・サブリナvs長与千種・ライオネス飛鳥・ジャンボ堀

元のYoutubeがなぜか見つからないので(消えた?)、発見次第貼り付けます。

以下は試合のみ抜粋したもの。

 

 

1982年の試合ということはわかるのですが、試合会場は不明です。

観客が空いてますよね。この頃の地方大会はガラガラでビューティペア・ブームの反動でどん底だったかもしれません。

 

松本は田園コロシアムでのデビュー戦のあと、新人戦ではライオネス飛鳥に準決勝が破れて4位。その後は2班体制がなくなって、選手余剰になったため、松本はなかなか試合に出られなくなったようです。

新人の場合は、ピストル(セメント)での前座で勝利すると次の試合も出られてランクアップ、負けると次の日の試合はレフェリーや試合不出場となるそうで、お金も全然なく食費にも困るありさまだったようです。

 

会社は松本を、日本人には珍しい巨漢のレスラーに育てようと模索していました。

そのため、「お前は練習よりも食べろ」といわれますが、何しろ食べるにもお金がありません。お米は用意されていたようですが、毎日紅ショウガで食べるのも限界があります。

ではどうやってお金を工面していたのかというと、本によると母親の里子さんに仕方なく送金してもらっていたらしいです。確か松本家は父親がロクに仕事をしなかったせいで、母親が内職までしており、大量のお金の工面に大変なご苦労をされたと思うのですが、当時のダンプの本に記載されているので一部抜粋してみます。

 

「おかあちゃん」より----------------------------------

ここに古い手紙の束がある。手紙の封筒にはすべて赤ペンで「速達」と書かれている。これからの手紙はすべて、女子プロレスの下積み時代、私が母に当てて投函したものだ。これらの手紙をいま読み返してみると、痛ましいほどの自分がそこには生きている。胸が熱くなる。

下積み時代は貧しかった。激しい親の反対を押し切って家出同然に女子プロレスの世界に飛び込んだものの、毎月生活をしていくのがやっとだった。練習は厳しく、かといって実家へすごすごと引き返すわけにもいかない。リングへの熱い思いは消えなかったが、輝かしいスポットライトには無縁だった。そんな繰り返しの中で、私はこれらの手紙を書いた。

 

"SOS(金送れ)!!"とともに。

 

ある時は目黒の寮に、またある時に巡業先の北海道にと・・送付先は全国に及んだ。母が私に送金してくれた金額は、正確に調べたことはないが、3年間でゆうに400万はくだらないだろう。これらの手紙は、あのころの私の汗と涙が書かせたものだ。そして封筒の中にはあの頃の私がもがいている。

暗い下積み時代、どうしようもなく不安な夜、私は母からの手紙(現金書留)をお守りのように抱いて寝た。すると心が安らいで、不思議とよく眠れるのだった。

 

当時私の給料は月7万円だった。その中から寮費5千円が引かれた。残る6万5千円でプロレスのシューズ、水着、練習着など必要なものを買い、残りを食費に当てなくてはならなかった。食べ盛りでおまけに体力勝負の世界。厳しい練習のあとでは食費がいくらあっても足りなかった。「お金貸して」と父に言っても「自分が好きで入った世界だろう」と言って取り合ってくれない。仕方なく私は母に頼むことにした。母は父に内緒で貯金を下ろしたり、パートで働いている会社の人に借りたりしながら私に送金をしてくれた。母は苦労したと思う。貧しい家庭、私に送金する余裕はない。あの細い母の小さな体がすべて稼ぎ出したものだった。

母を幸せにするためにプロレスラーになったのに、プロレスラーになったことでこれまで以上に母に心配をかけている。これじゃあ、母に迷惑をかけるためにプロレスラーになったようなものではないか。母は何も言わないけど、きっと私のために借金していたことだろう。それで、私が女子プロレスをやめたらよけいに返せなくなってしまう。

 

絶対にプロレスをやめるわけにはいかない。どんなことがあってもやめられない。どんなにつらくても絶対に逃げるのだけはやめよう。今に絶対よくなって見返してやる。会社にだって、もし自分がやめるって言った時に「やめないでくれ!」って頭を下げるくらいになってやる。

母への手紙にはよく「嘘」を書いた。

お金が足りないことは事実だったが、送金してもらうにはそれなりの理由を書かなければならなかった。"食費がかかる"とは毎回とても言えなかった。すべてが「嘘」ではないが、お金を送ってもらうためには仕方なく、いつも後ろめたい気持ちで手紙を書いてのを覚えている。

そして、その「嘘」を突き通すためには、私は女子プロレスで何が何でも栄光をつかまなければならなかった。これらの手紙はすべて私がおかあちゃんに出したものだ。

 

「リングシューズが破けたの。新しいの作るので三万円送ってください」

「リングのガウン、毎日同じものを着ていると先輩に怒られるの。二万円送ってください」

「虫歯が痛い。歯医者に行きたいの。でも困っていたらいいよ。薬飲んでがまんするから。でも、なるべく送って。九月二日までに速達で二万ぐらい。お金貰うばかりでごめんなさい」

「沖縄県那覇市安里468 ホテルエメラルド様方 全日本女子プロレス内 松本香。十一月一日から十日まで泊っています。沖縄は冬物が早いので買い物したのです。おとうちゃん、おかあちゃん、みんなに買ってきてあげますのでお金貸してください。返しますから絶対に。お金送ってください。上のところに、早めに」

「おかあちゃん、ねぇ、お願い、一万円ちょうだい。だって今歯医者に行ってるの。今日は歯のレントゲンとったの。明日には注射をするの。この前つめたところがダメだからぬいちゃうの。親知らずぬくの。計二本ぬくの。あと奥歯四本つめるのです。だから大至急送ってください」

「給料のうち会社に五万返すの。あと二万円しかない。『足りない分は家から借りろ!』って会社に言われた。だから五万円送ってください。なるべく早く・・」

「私の最後のお願い聞いてくれますか。三万円送ってほしいの。歯が痛くてたまらないから歯医者に行くの。ガウンも新しいものが、また欲しいの。自分のお金だけでは足りないんだ」

「お金また送ってくれますか? シューズ作りたいの。十二月二日、熊谷でやるから新しいシューズ欲しいんだもの。一つしかないからボロボロなんだ」

 

あるとき、実家に電話をした。すると母が出た。その頃、連続してお金を借りたのでさすがに母もいらだっていた。

「香、お願いだからお金送ってばかり言わないで」

「ごめんね、きっと返すからね」

私はそう言って、すぐに電話を切った。辛かった。本当はお金を送ってほしかった。でもとても言い出せなかった。自分が情けない気持ちでいっぱいだった。「ごめんね」と「いつか返すからね」がいつからか口ぐせになっていた。体のキズが痛んだ。どん底だった。

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さて、試合のほうをみていきます。

おそらく3試合目か4試合目くらいで、55年組みに外人やジャンボ堀を入れた6人タッグマッチです。

1981年に松本はブラック軍団入りして、1982年くらいだとまだ新人として試合をしていた頃の映像です。

 

 

この試合ではガウンはピンク、水着も青とピンクです。ヒールというよりは、目立ちたい、という感じの衣装でしょうか。

同じ時期に入門した本庄ゆかりは1982年からマスクを被らされて、マスクド・ユウと名乗っています。ガウンにニコちゃんマークのような刺繍があるのが可愛いですね。

 

それにしても、試合会場がスカスカです。テレビ撮りだからそれなりに大きい会場だと思うんですが、それでも空席が目立つのが悲しい時期です。

 

 

マスクド・ユウのコール。マスクド・ユウは松本と同じ落ちこぼれ組みですが、すでに期待されており、全日本王座に挑戦したり、デビルのパートナーに一時的に使われたりしています。技が松本よりも多く、同期のワイルド香月とマスクド・ユウのどちらが頭角を現すのか、デビルも見ていた感じがします。

 

 

志生野アナ「続いて青コーナーであります。まずはマスクド・ユウ」

志生野アナ「そして人気のあります、松本香であります」

 

この頃すでに80kgくらいの体重でしょうか。太腿も太いですし、2年間でかなり体重増加が見られますね。相変わらず、太めなところ以外はヒールっぽくはないですね。

マスクド・ユウはマスクを被っているので、ヒールっぽくみえるだけで、マスクを被っていなかったら、おそらく松本と同様、あまりヒールとして徹底できなかったのではないかと思います。

他にも外国人として綺麗なサブリナという選手がいるのですが、どうみてもベビーフェイス顔です。

 

 

 

志生野アナ「松本が登場であります」

志生野アナ「松岡さん、松本香選手がなにやら髪の毛にお洒落をしてましてね

志生野アナ「なんていうんですかね?」

松岡きっこ「メッシュっていうんですか」

志生野アナ「そうですか」

松岡きっこ「久しぶりにお会いするんですが、ずいぶんファッショナブルになりましたね」

志生野アナ「どうしてあんな風にしたの? って僕は(松本に)聞いてみましたらね」

志生野アナ「もう少し、あの、怖がられたいと

志生野アナ「どうも自分は可愛くみられるんでつまんないってことを言ってましたけど」

志生野アナ「あれ、どうですかね?」

松岡きっこ「あまり怖くないですね

松岡きっこ「かえってかわいい」

志生野アナ「そういう風に僕も言ったんですけども、本人がっかりしてました

松岡きっこ「もうちょっと、色を紫とかにすればよかったのに」

志生野アナ「なるほどね」

松岡きっこ「赤だから余計に可愛くみえちゃいますね

解説「この髪の毛は今日のためにしたんですよ

志生野アナ「そうなんですかぁ」

 

松本はどうやったらヒールっぽく見えるか、色んなことを試していたことが分かります。

試行錯誤の連続だったんじゃないでしょうか。

「松本香」という名前と体型から来る親近感。これを払しょくするために、当時の不良(ワル)がやってメッシュを入れたのですが、これが逆にカワイイと言われてしまうとは・・!!

しかも、わざわざこの撮影日のために染めたんですね。

 

やることが裏目裏目に出てしまっています。(^^;

 

先輩にはイジメられる、試合になるとヒールに見られない、一体なにをしたらいいのか!? 

そんな松本のもがきの時期が伝わってきます。

 

さて、サブリナとユウがあれこれ攻撃して、松本にタッチ。

 

 

志生野アナ「そして松本が登場であります」

志生野アナ「女・金時と呼ばれております、松本

志生野アナ「とにかくこの人が出てまいりますと、場内からは笑いが漏れております」

志生野アナ「愛嬌があります」

 

ついに松本は女・金太郎にされてしまいました。確かに似てなくもないです(^^;

ちなみに、松本のあだ名についてはこんなものがありました。

 

「私じゃダメかい」より-------------------------

「松本香」、女っぽい名前だなってほれぼれしたのは中学時代。でも同級生たちは自分のことを「香ちゃん」なんて、呼ばなかった。あだ名で呼んでたの。

アウちゃん、キンちゃん、スケちゃん。

この3つが自分のあだ名。ちっちゃい頃からずっとこれで通してきた。

アウちゃん・・ワタシって言えなくて、アウと言ってたところから。

キンちゃん・・金太郎のようなかわいい子供だったから。

スケちゃん・・スケベだったかだろうな。よくわからないけど。

この3つのあだ名のうち「アウちゃん」はいまでも親しい友人はそう呼んでいる。自分も「アウは」なんて言ってる。気に入っている。これまでよほどのことがない限り、自分は「私」なんて言ったり、書いたりしたためしがない。

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この時期はキンちゃんになってしまっていたのですね・・。(^^;

 

 

志生野アナ「あーっと、これはこれは」

志生野アナ「目の中に指を突っ込んでおります」

志生野アナ「これでもか、これでもかという松本香選手の攻撃であります」

 


行動は悪いことをしているんですが、そこまで「憎たらしい」感じならず、行動と結果が一致しないのがこの頃の松本の悩みですね。

 

 

 

志生野アナ「ここでライオネス飛鳥選手にタッチでありります」

志生野アナ「ライオネス飛鳥選手も相変わらず足を攻めてましてね」

志生野アナ「松本香選手はもう汗びっしょりであります」

志生野アナ「胸のあたり、汗びっしょりになりました、暑いのと苦しいのと両方でしょう」

志生野アナ「右の足にサポーターをはめてますんですね」

志生野アナ「今日はここはウィークポイント」

 

この右足のヒザですが、松本が小さい時から関節炎に悩まされています。

以降、体中が傷だらけになってしまい、左ヒザのじん帯が伸びたり、ぎっくり腰にもなってしまうのですが、初期は最大のウィークポイントだった右ヒザをかばっているようですね。右ヒザについてはまた別の記事で書こうと思います。

 

その後得意の体当たりで逆襲、さらにマスクド・ユウとのコンビでさらに体当たり。

この頃からユウと松本は、いいコンビだったと思います。

 

 

松本「コォンノヤロウ~」

 

私が大好きな松本香時代の「コノヤロウ」も出てますね。(^^

 

この試合、松本に対して長与が空中殺法を使わないことに関して、解説をしています。この試合の少し前に長与が立野に全日本ジュニア王座を福島で奪取されたことを話しています。そのときが1982年の8/10なので、この試合は9月くらいなのかなと思います。

ちなみに長与が立野にジュニアを奪われた試合は、ある本では長与が抑え込みで避ける方向を、ジャガー、松本ら数名が立野と練習したらしく、さらに「首謀者は松本で、松本が長与に恥をかかせてやろうと陰謀した」とまで書かれています。これはクラュシュファンを煽るために書かれたのかなと思っていますが真相はいかに?

この頃から長与はスランプになってしまったと解説されています。

 

 

松本とユウのダブル攻撃もさく裂。今後パートナーでもあり、ライバルともなるマスクド・ユウとの連携もバッチりです。

 

最後はユウが捕まってフォールを取られて敗戦。

松本は阿部四郎を投げ飛ばして、憂さを晴らしています。(^^;

将来のベストパートナーとなる阿部四郎は、いまはまだ、普通のレフェリーでした。

 

 

今日の凶器 なし