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Sturzkampfflugzeug

One is not born a genius. He becomes a genius for himself.
(人は天才として生まれるのではない。自分の力で天才になるのだ。)


子供にあれこれといろんな事を押し付け、挙句は我が子を取り巻く環境にケチをつけてばかりいる親というものがいる。

思うに、彼らは自分自身に夢が無いのだ。

自分に夢が無いから子にばかり夢を見る。

自分にできないこと、できなかったことを子にやらせる。

そうしてまた子も夢を失っていく。奪われていく。


何を言うにも「近頃の若者は…」などと言う人がいる。

彼らも同じだ。

自分に夢が持てないから、理想や信念を抱く若さがないから、若者に嫉妬し、彼らを悪く言うことで自らの空虚から目を逸らし続けているのだろう。



自分自身に夢を持てなくなった人間など、ただのゴミくずだ。

古代の人々は、獣よりも磁石を恐れた。炎よりも静電気を恐れた。

眼前に見えているものに怯え騒いでいるうちはまだ正気でいられる。
目には見えないものこそが本当に恐ろしいものなのだ。
氷山の一角が如く、本当の恐怖は水面下で進んでいる。

戦争も同じだ。

恋は盲目というが、嫌悪もまた盲目である。


近頃は特に、ネット上で中国・韓国に対する無差別な非難が横行しているように感じられる。


別に嫌うなとは言わない。万物を愛する博愛などは所詮絵空事に過ぎないのだから。

だが、それは彼我をよく見つめたという前提のもとに存在しなくてはならないものである。


考えもなく放たれた言葉は、我々の想像を超えて他者の思考を支配してしまう。

何かを評価、評論するということはそれだけ重い責任が伴うことであるという自覚を失ってはいけないと思う。


人類は、死ぬ運命であった生命を生き延びさせたり、さらには人の力のみで生命をコピー・創造したりと、言うなれば神にも等しい所業をするようになってしまった。

だが、決して忘れてはいけないこともある。

医師や薬品といったものは、「病気を治せる」ものではない。

彼らにできるのは、あくまで「患者が治る手助けをすること」だけである。


このことは、医療を提供する人間と医療を受ける人間の双方がわきまえておかなければならないと思う。


自分はどんな病も治せると勘違いする傲慢な医師も、

自分の病気が治らなかったからといって医師を訴える身勝手な患者も、

存在するべきではないのである。

他の学校で高校生活を過ごした人と話すとよく分かるのだが、

国立高校という学校は不思議で珍しい、とても特異な空間である。


集ってくる個性と才能に溢れる人材。

才能の無駄遣いとも言われたりする日々の営み。

毎年約1万人もの客を動員する文化祭。


尤も、いいところばかりがある訳ではない。

「国高生だから、部活忙しいから、文化祭頑張るから」とかなんとか言っては「勉強できなくてもしょうがないよね」なんていって逃げたりする国高生の甘えは好きになれないし、

我が強く、プライドが高く、人の話を聞かない、議論の進まない集団である点も良くないかもしれない。


だけど、これだけは確かにいえる。


あそこでしか手に入らない「何か」は確かに存在したと。


それをなんと呼ぶかは分からない。もしかしたらそれを人々は「青春」と呼ぶのかもしれない。


当然、誰もが手にすることのできるものではないだろう。

国高に入っただけでは手にすることはできない。

だが、それを手にする資格、可能性が与えられる。

後は人間次第だ。



あの途轍もなく面白い学校で、素晴らしい先生、そして最高の仲間に恵まれた。


国立高校は、誇りの母校である。