NOT終戦、BUT敗戦 | Sturzkampfflugzeug

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One is not born a genius. He becomes a genius for himself.
(人は天才として生まれるのではない。自分の力で天才になるのだ。)

第二次世界大戦、日本にとっては「大東亜戦争」が終結してから68年が経とうとしている。
「いや、終戦記念日は8月15日だ。もう68年は経ったのだ」という人もいるだろう。だが別に間違えたわけではない。では何故「経とうとしている」と書いたか?
答えは簡単、あの戦争が終結したのは8月15日ではないからだ。世界中の教科書に、人々に訊いてみよう。彼らは皆、「第二次世界大戦が終結したのは1945年9月2日である」という答えを示すだろう。
8月15日を「終戦記念日」などと呼んで、あの日に戦争が終わったと思い込んでいるのは日本人だけなのだ。言ってみれば、あの日は玉音放送がなされ、日本の一般市民が継戦を諦めた日に過ぎないのである。
現に、前線の軍人の中には交渉決裂で戦闘が再開される可能性を考えその準備をしていた人もいるし、18日には飛来した米爆撃機を迎撃し、「第二次世界大戦最後の空戦」が行われたことも有名である。
何といっても、ソ連は中立条約を無視した上で9月4日まで進軍を続け、今なお北方領土を占領し続けているのである。戦争は終わっていなかったのだ。
世界の認識では、ミズーリ号艦上で降伏文書が調印された9月2日が戦争終結の日となっているのだ。

そもそも、「終戦記念日」という言い回しも気に食わないといえば気に食わない。タイトルにも書いたが、あれは「終戦」ではなく「敗戦」だ。敗戦の現実を受け止めて初めて将来を考えられるのではないのだろうか。


「終戦記念日」という言い回しは、降伏時の陸軍大臣が「敗戦」ではなく「終戦」にしてくれ、と言ったものらしい。「全滅」を「玉砕」、「撤退」を「転進」と言い換えて美化し、ごまかし続けていた戦時の大本営発表と何が違うというのだろうか。


日本人は、あれほどの戦争をしておきながらそれを振り返ることをあまりにも怠っている気がする。特に自分たちの世代、つまりは若い世代においては顕著である。
言っておくが、「振り返る」というのはとりあえず戦争をとにかく否定して否定して戦争に反対することでは、もちろん、ない。
「戦争はダメだ!」と一点張りで言い続けることは、「戦争しか道はない!」と盲目的に突っ走った昭和初期の世論と表裏の関係にあるだけで、本質的には同じだからである。
特に本質や理由も考えず、戦前を非難し、戦争を否定するだけの姿勢は単なる逃げでしかないと思う。ある意味、この国は現実と歴史から逃げ続けてきたのだ。
そんな報道ばかりが為され、そんな考えが何の疑問もなくまかり通ってしまうようでは、この国に未来はない。あの戦争で日本人は進歩できなかったということになる。それではあの戦争で亡くなった二百数十万人柱に申し訳が立たないだろう。


大切なのは、あの戦争を自分自身で知り、考え、感じることであると思う。
日本、そして日本人を愛するのならば、避けては通れない現実と責任がそこにはある。
少なくとも自分は、あの戦争、そしてこの国の現実と歴史から逃げたくない。



犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。