💭「怒鳴られた瞬間より、その後の方がずっと苦しかった」
💭「何もなかったように話が進むと、胸の奥がざわつく」
💭「私は何に、こんなに怒っているんだろう」

 

そんな感覚を、
私は長いあいだ、
うまく言葉にできずにいました。

 

🧠 私は「気持ちの部分」を見誤っていた

私は、ある心理カウンセリングを見ていました。

 

その中で、クライアントの方が
何度もこう言っていたんです。

 

「気持ちの部分が…」

 

 

気持ちの部分。

 

たしかに、それはそうだな、と思っていました。

 

でも今思うと、
私はその言葉の本質を
理解していなかったのだと思います。

 

私はそれを、
「こういう状況のときに、こういうことが言えない」
というパターンとして見ていました。

 

人に言い返せない。
嫌だと言えない。
我慢してしまう。

 

そういう“型”の話として、
分かった気になっていました。

 

でも、違ったんですね。

 

本当に扱われていたのは、
それこそクライアントが何度も口にしていた
「気持ちの部分」そのものでした。

 

私は、それを
本当の意味では理解できていなかったんです。

 

🏠 父が怒鳴っても、反論は許されなかった

私の家では、
父が怒鳴ることがありました。

 

今思うと、そこには
「父親は絶対に正しい」
そんな、昭和の家庭によくあった雰囲気が
色濃く残っていた気がします。

 

父が理不尽なことを言っていても、
それに反論する、という選択肢は
最初からありませんでした。

 

 

母も、
私が幼い頃から
ずっと我慢しているように見えました。

 

父を止めるわけでもなく、
かといって、
私の味方をするわけでもない。

 

場を荒らさないように、
空気が壊れないように、
じっとやり過ごしている。

 

 

そんな姿を、
私はずっと見ていた気がします。

 

私が父に反論しようとすると、
母は横から
「ほらほら」
と声を出しました。

 

強く叱るわけでもない。
 

でも、その一言で、
空気ははっきりと決まってしまう。

 

「それ以上は言うな」
「ここで気持ちを出すな」

 

そう言われたわけではないのに、
家族全体で、
そういう合意ができあがる。

 

私は、
怒られることよりも、
その空気を壊すことのほうが、
ずっと怖かった
のだと思います。

 

💢 嫌だったのは、怒鳴られたことだけじゃなかった

最近になって、
はっきり分かってきたことがあります。

 

私が父や、
パワハラ上司のことを
今も思い出して怒っているのは、
出来事そのものじゃない。

 

気持ちの部分なんです。

 

 

父は、怒鳴って終わりでした。
 

その後、何もなかったかのように
日常が続く。

 

宗教のことでしつこく誘われ、
私が断り続けていると、
 

「だから、強制しないって言ってるだろ!」
 

と大声で怒鳴る。

 

そして、それで終わり。
 

謝ることはありません。

 

🕳 「なかったこと」にされる感覚

パワハラ上司も同じでした。

 

会議の場で、
明らかに私のことだと分かるように、

 

「人間として挨拶が基本だ」
「事務所にも挨拶できない奴がいる」
「そいつには何度も挨拶した。敢えてそうしたんだ!」

 

そう怒鳴っておいて、
それで終わり。

 

私が怒り心頭になり、
もはや我慢ならず
受動的に抵抗すると、

急に態度を軟化させて
「飯でも食いに行かないか?」
なんて言ってくる。

 

 

……そこじゃないだろ、と思いました。

 

なんでこっちは、
何もなかったかのように水に流して、
あんたと飯を食いに行かなければ
ならないんだ。

 

私が一番嫌だったのは、
怒鳴られたことよりも、

その気持ちを、
なかったことにされる感覚

だったんです。

 

🌱 「それを扱ってもいい」と分かった

最近になって、
他人の心理カウンセリングを見る中で、
私はようやく分かりました。

 

これは、
正しいか間違っているかの話じゃない。

 

我慢すべきだったかどうかでもない。

 

私は確かに、嫌だった。

 

その気持ちの話なんだな、と。

 

そして、
その気持ちは
扱ってもいいものだった。

 

今まで私は、
それを口に出すことすら
憚られるものだと
思い込んでいた気がします。

 

でも、
他人のカウンセリングを見て、
私の「気持ちの部分」は
正当だった
分かった感じがしたんです。

 

🌤 気づけてよかったと思っている

正直に言うと、
まだ答えは出ていません。

 

どう扱えばいいのかも、
分かりません。

 

でも、
これに気づけてよかったと
思っています。

 

もし気づかないままだったら、
私自身が、
同じように
誰かの気持ちを
なかったことにする側に
なっていた気がするから。

 

 

もしかすると、
私が扱ってよかったのは「怒り」そのものより、
ずっと置き去りにされてきた気持ちだったのかもしれません。

 

 

🧩 あなたの「気持ちの部分」は、どこにありますか?

もしあなたも、

 

✓ 怒鳴られたあと、何もなかったように振る舞われる
✓ 「もう終わったことだから」と流されてしまう
✓ 自分の気持ちを言ってはいけない気がする

 

そんな経験があるなら――

 

それは、
もしかすると
扱ってもよかった気持ちなのかもしれません。

 

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今すぐ変わる必要はありません。
 

答えを出さなくても大丈夫です。

 

ただ、
「これは自分の話かもしれない」
そう感じた方は、
静かに読んでみてください。

 

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