「大人しくしていなさい」
「出しゃばると、ひどい目にあう」
「言い返したら、もっと怒られる」
私たちは、そんな言葉を
いつから心に刻んできたのでしょうか。
小さな頃の私たちは、
ただ安心して、愛されたかっただけなのに。
誰かの機嫌をうかがいながら、
静かに空気を読むことだけが、
「生きのびる方法」だった人も
多いのではないでしょうか。
ティナ・ターナーも、そうした少女でした。
本名はアンナ・メイ・ブロック。
彼女はアメリカ南部で、
黒人差別と貧困の中に生まれ育ちました。
11歳のとき、母親は何の前触れもなく家を出ていき、
父親からは暴力を受けるようになりました。
その後、別の親戚に引き取られましたが、
そこにも温かさはなく、
彼女は「言われたことだけをやる」「感情を見せない」
そんな“生き方”を身につけていきました。
本当はさみしかった。怖かった。
でも、それを口に出すことは許されなかったのです。
そのうちに、彼女の心には
「私は大切な存在ではない」
「我慢していた方が、傷つかずに済む」
という“心のルール”が根づいていったのでしょう。
10代で音楽の世界に入り、
出会ったのがアイク・ターナーでした。
アイクは音楽の才能に溢れた男で、
ティナを見出し、ステージに立たせました。
最初の頃は、彼の存在が
「自分にも価値があるのかもしれない」と
思わせてくれる光のように見えたかもしれません。
けれど、それはやがて地獄に変わりました。
アイクは、舞台裏では別人のように変わり、
暴力、暴言、支配を繰り返しました。
殴られる。
蹴られる。
髪を引きずられ、タバコの火を押し付けられる。
「お前なんか、俺がいなきゃ何もできない」と
何度も何度も言われました。
ティナは、それを信じてしまいました。
「私は1人では生きていけない」
「人に尽くすことでしか、ここにいていい理由はない」
そう思い込んで、
自分の存在をどんどん小さくしていったのです。
ある日、ホテルの部屋で
またひどい暴力を受けたティナは、
顔を腫らし、血をにじませながら廊下に出ました。
それでも、すぐには逃げる決心がつきませんでした。
「本当に、これでいいのだろうか」
「また一人ぼっちになるかもしれない」
「逃げても、生きていける保障なんてない」
何度も、心の中で声がささやきました。
ずっと、「我慢するのが正しい」と
信じてきたからです。
でもそのとき、彼女の心には
こんな思いが芽生えていました。
「私は、これ以上我慢したくない」
「私は、このまま壊れてしまいたくない」
それは、長い沈黙の末に生まれた
最初の“自分の気持ち”でした。
彼女はホテルを飛び出しました。
財布には、たった36セントしか入っていませんでした。
けれど、その一歩は
彼女の人生を変える最初の一歩となったのです。
その後のティナは、40代にして再出発を果たします。
何の後ろ盾もない中で、
自分の力だけで活動を始め、
『愛の魔力』で世界的な大ヒットを記録。
“ロックの女王”と呼ばれるようになりました。
しかし、彼女の歌にはいつも、
心の痛みがにじんでいました。
それは、ずっと声を奪われていた人が
ようやく自分の心を取り戻し、
少しずつ“自分の人生”を歌い始めた
証だったのかもしれません。
かつてのティナのように、
「私は大切にされる価値なんてない」
「我慢しないと、生きていけない」
そんな思いを、心の奥に
抱えている方がいるかもしれません。
けれど、それはきっと、
かつてあなたを守ってくれた“心のルール”だったのです。
その思いがなければ、
傷つきすぎてしまうような日々があったのかもしれません。
でも、今のあなたはもう、大人です。
誰かの機嫌に怯えなくても、
黙って耐えなくても、
あなたは、あなたとして生きていいのです。
あなたの中にも、
静かだけれど確かな“力”が、きっとあります。
それに気づいたとき、
人生は少しずつ、変わり始めるのだと思います。


