アーネスト・ヘミングウェイ。
ノーベル賞作家にして、
20世紀を代表する文豪です。
けれど、その筆の裏には
「生きていてはいけない気がした」
という深い痛みが隠れていました。
彼は1899年、
アメリカ・イリノイ州に生まれました。
母は教育熱心で、
けれどその厳しさは冷たく、
彼の“ありのまま”を
受け止めてはくれませんでした。
母は彼に、
姉とおそろいのドレスを着せ、
まるで双子のように育てました。
自分は望まれた性ではない。
母の理想から外れた僕は、
いてはいけないのかもしれない。
そんな思いが、
彼の心の奥に静かに沈んでいきます。
青年になった彼は、
第一次世界大戦に志願して負傷し、
生死の境をさまよいます。
帰還後も、
彼の人生にはつねに
「死」と「喪失」が影を落としました。
24歳で、父親が拳銃自殺。
その事実は、
彼に深い影を落としました。
その痛みは、
彼の作品の中にも色濃く刻まれています。
たとえば代表作のひとつ、
**『日はまた昇る』**では、
戦後の虚無を抱えた若者たちが
自堕落な日々を送りながらも、
どこかで「生きる意味」を探しています。
傷ついたまま、
感情を殺して生きる登場人物たち。
彼らの姿は、
“心のどこかで自分を消している人間”
そのものに見えました。
また、**『武器よさらば』**では、
戦場での出会いと別れを通じて、
“愛してはいけない”“生き延びてはいけない”
というような思い込みと戦う主人公が描かれます。
そして何よりも有名なのが、
晩年に発表された**『老人と海』**です。
老漁師サンチャゴが、
たった一人で大海に出て、
巨大なカジキと格闘する姿。
力尽きて帰還する彼の姿には、
「何も残らなくても、
それでも私はここにいてよかったのか」
という問いが静かに響いています。
どの作品も、
ただの冒険や恋愛ではありません。
そこには常に、
「存在することの意味」や
「消えたい気持ち」との葛藤が
物語の奥底に流れているのです。
彼の作品の多くは、
「感情を語らない」のが特徴です。
でも、その沈黙の行間にこそ、
彼自身の“生きてはいけない”という苦しみが
にじみ出ているように思えます。
晩年は重度のうつ病を患い、
電気ショック療法を受けても回復せず、
1961年、
父と同じように銃で命を絶ちました。
もし今、
あなたの中にも、
「自分の命には意味がない」
「ここにいてはいけない」
そんな声が響いているなら──
その声はきっと、
過去のあなたが
苦しみの中で身につけた
思い込みだったのでしょう。
それでも、今のあなたは、
自分の命の面倒を
みてあげることができます。
誰にも認められなくても、
うまく生きられなくても、
それでも大丈夫です。
あなたはここにいていい。
この世界にいていいのです。
