前回は→その2
前回のお話に出てくる、遺跡群の中で私が非常に気になる事柄が有りました。
それは・・・・縄文時代というのは祭祀が生活の中に取り込まれており、その規模というのが目を見張るものだったからです。
これがその世界を再現された模型ですが。列石が家の隣に有るのが見えますよね?
つまり縄文時代というのは「祈りが日常だった」と言えましょう(-人-)
by阿久遺跡
今回扱うのは
④の阿久遺跡です
ウィキより引用
とてつもなくスケールの大きな祭祀場の存在
阿久遺跡が知られるようになったのは、発掘調査の結果、桁外れの規模を持つ縄文時代前期の祭祀場が姿を見せたからです。
この祭祀場は阿久尾根の最も幅が広くなる場所を選んで作られていた。
※写真上図地図を参照になさってみてください
その構造は広場の中央部に設けられた中心施設としての立石・列石遺構と、それをドーナツ状に二重に取り巻く遺構からなる。いわば核と内帯・外帯部分の遺構からなるものである。
内帯はいくつかの方形柱列を取り込んだ土坑群からなる。外帯は環状集石群からなり、内帯と接する部分は部分的に重複する。更に環状集石群の南から東側は居住地帯となり、祭祀場の一部分を囲む。
このように、阿久遺跡は祭祀場と居住地帯
さらにこれらを取り囲む、人々の生産の場としての自然からなる。
これらの一大文明は少なくとも5000年前には確立されたていたのです。
祈りという事で私は、土器からとある事を感じたのですが・・・・
こちらは話しを掘り下げるため再び「追記」という形をとりますので、再アップの際には再び見に来てくださいね☆-(ゝω・)v
という風になっています。確かにフラッシュ等で絵画が痛むとかの理由は有るかもしれませんが、だがしかし、公式HP等には、一度だけどうにか撮影した物を目録として載せてもおかしくないですよね?
現に有名な画家のでもそうしていますよね?
それなのにこういうものだけ?って違和感を感じませんでしょうか。これは中東の遺跡と同じですね。あと鎌倉時代の(日蓮の頃)の仏教美術は沢山某外国の美術館にあります。卑弥呼の鏡も同じくです。そして見せて貰えないんですW日本のものなのに。日本の美術館も一緒です。某有名美術館にはしまいこんで見せない曼荼羅が有り(鎌倉時代)、HP上でも画像をそこだけ載せていませんし、せめて文章だけでもと思いますがそれすらもないって知っていましたか?
しかし、どうしてか?類似する遺跡の土偶を見ると私は答えがはっきりわかります。
これを見てください。
①「巳を載く神子」(へびをいただくみこ)。藤内(とうない)遺跡井戸尻(いどじり)考古館の絵はがきから。縄文時代中期。
これってどういう状況で出土したか?これです
後頭部の上には何が有りますか?
【意識をニュートラルにして感性で読んでみてください】
縄文といえばセオリツ・・・・巫女・・・・セオリツって誰の事を指すの?
七面山の道に差し出されたように落ちていた羽・・・・本能的に拾い我が家の兎の居る神棚へ
ここはどうみても卑弥呼の縄張りだと思いますが、安曇族が来ている記録もありますし(卑弥呼は海人です)八万神を塗り替えてきた輩の利権団体のやる事から考えてもわかります。書き換えは歴然たる事実なので、スピチュアリストの言っていることを見ると、向こうの回し者か偽物の霊能者だと思いますね。
詳細を見るとこの遺跡群て非常に利権者達にとって不都合だと言う事がわかります。
だって神武から始めたいのに、それが全て覆されて、女王の国だという事がバレてしまうからね
蛇を頂く巫女は存在しました。居るから写っているんです。
私は、こういう物が自在に撮影できる能力を持ちますが、最初は何の為かわからなくて、ともかく不思議すぎて右往左往していました。でも今は迷わない・・・・・
私は【真実を皆様にお伝えする為にこの世に生を受けたのです・・・・】
そして、この場所のエネルギーですが・・・・当然物凄い・・・・
私は当時何も知りませんでしたが・・・・
それはそれは圧巻でした・・・・・
今ではこの能力を天に感謝しています(-人-)一番先に真実が分かるのですから。非常に((o(´∀`)o))ワクワクします。
次回は、この土地の持つエネルギーについて書きます。
続きは→その4