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インダス文明

パキスタン・インド・アフガ二スタンのインダス川および並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明。最初に発見された遺跡にちなんでハラッパー文明ともよばれる。狭義のインダス文明は、紀元前2600年から紀元前1800年の間を指す。インダス文明の遺跡は、東西1500km、南北1800kmに分布し、遺跡の数は約2600におよぶ。そのうち発掘調査が行われた遺跡は、2010年時点でインド96パキスタン47、アフガニスタン4の合計147となっている。

モヘンジョダロの大浴場

 

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メソポタミア

チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野である。現在のイラクの一部にあたる。

古代メソポタミア文明は、メソポタミアに生まれた複数の文明を総称する呼び名で、世界最古の文明であるとされてきた。文明初期の中心となったのは民族系統が不明のシュメール人である。

インダス?メソポタミア?だから何?この話って前回までの話と関係あるの?はい(^O^)大アリです!

では行きますよ~(^O^)以下をご覧くださいね。

高校生のためのおもしろ歴史教室様の文章の要約と画像をお借りして解説しています

参考文献

○「インダス文明」辛島 昇 他著(日本放送出版協会 昭和55年)
○「人類は核戦争で一度滅んだ」橋川 卓也著(学習研究社 昭和58年)
○「インダス文明の流れ」M ・ウィーラー著小谷仲男訳(創元社 昭和46年)
○「謎の古代文明」チャールズ・ベルリッツ著小江慶雄・小林茂訳(紀伊國屋書店 1974年)

1921年 インダス文明が発見された。
前2300年頃、東京でいうと多摩ニュータウン、大阪でいうと泉北ニュータウンのような計画都市が突然出現した。縦横幅の比率が4:2:1で焼かれた煉瓦で作られていた。

他に10ほどの小都市が発見されているが、計画的につくられ、この統一規格の焼き煉瓦で建築されている。
多摩ニュータウンにしろ泉北ニュータウンにしろ目的があって計画的に建設された。どのような経緯目的で、どのような権力者によって建設されたのか不明である。
後藤健の説によると、インダス文明の都市建設したのはスサを首都とする原エラム文明であるというラピスラズリなどの貴石鉱物を現在のアフガニスタンあたりから輸入し、メソポタミアに送り、穀物を輸入するという交易で繁栄していた。

ところが、前27世紀末にシュメール都市国家に侵略され、首都を奥地のシャハダートに移転し、穀物の輸入先をインダス川流域に求め、都市を現地人につくらせたという説である。

スサに首都をおく原エラム文明は、ラピスラズリと穀物の交易で栄えていた。シュメール人(メソポタミア)にスサを奪われシャハダートに首都を移し新たな穀物入手先としてインダス川流域に目をつけ、インダス文明の計画都市を築かせた?

メソポタミアの粘土板文書に書かれた「メルッハ」はインダス文明をさすといい、古くからメソポタミアとインダス川流域との交易があったことは知られている。強力な王権が遺跡から確認できないとすれば、商業拠点としての計画都市の可能性も否定できない。
ハラッパーに比べて保存状態のよいモヘンジョ=ダロの遺跡の説明をする。

ここには現代でいう下水や上の写真の様な大浴場まで有り信じられない生活水準だが
文字は解読されていない。

約四〇〇種類に分類される。四角の印象に動物などとともに刻られた文字のみということもあり、解読されていない。チリ領である太平洋に浮かぶイースター島に伝わる未解読のロンゴ・ロンゴ文字との類似性がみられる。共通の文化圏からつたわったのか。

※私が書いたモアイの謎って記事記憶に有る方居ますか?私の説であればそこと文明が共通していてもおかしくないです。

【モヘンジョダロの最後】

モヘンジョ=ダロ郊外にガラスの町といわれる現地人が近づきたがらない廃墟が、核兵器使用によってできるガラス化す現象であるとして、核戦争で滅んだという説まである。

※この核戦争の話、私以前書きました。放射線が実際にこの地域では測定されています。

 

さて・・・・そこで前回まで出した地図を出しますね


黄色い部分が触れている地域をご覧ください

パキスタン・インド・アフガニスタン

隣接しているのがわかりますよね?

はいヽ(*´∀`)ノ何が言いたいのかわかってきた人居ますか?次回更に詳細について述べていきますね。

 

 

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