番外編前回は→その④ 


本編前回→その14
        
最初からその1




まず言える事・・・・


それは、考古学者によると、人々に広く愛され親しまれた旧約聖書・・・・


このモデルが、粘土版の中にある記述に有るのです。


なので、シュメールの粘土版の中にある人物や出来事は、その内容と比定する事が出来る物が多いはずです。


それでは分かり易く表にしてみましょう(*^^)v



今回はこの青い字の???が問題なのです。

何が問題か・・・・?


それでは旧約聖書のモーゼとシナイ山の関係を見てみましょう。





【モーゼが十戒を授かりし聖なる山】

ウィキペディアより引用→こちら

シナイ山とは、シナイ半島にある、モーセが神から十戒を授かったとされる場所。ホレブ山(Horeb)とも呼ばれる。


因みにこのシナイ山、本当ははっきりと特定されて居ないと言う事実が有ります。


【シナイ山の場所にはいくつかの説かが有ります】

聖書のシナイ山の正確な場所は定かではない。

●アラブ人がジェベル・ムーサー(Jabal Mūsā, アラビア語で「モーセ山」の意)と呼ぶシナイ半島南部の山(標高2,285m)に古くから比定され、アブラハムの宗教によって神聖視されている。


ジェベル・ムーサーにはモーセに関わる伝承を持つ泉や岩が数多く存在し、土地の人々の信仰の対象となっている。3世紀には聖カタリナ修道院が建設された。


●一方、ジェベル・ムーサー近辺には聖書の描写に合致するような広大な平原が存在しないこと、エジプトからパレスチナへの通り道としては南すぎる、などの理由から、近年、一部の聖書学者たちはその北側のラス・サフサファ(Ras Safsafeh / Sufsafeh)をシナイ山と同定している



そして・・・・


このシナイ山で十戒の粘土版を、修めた箱・・・・


それが、かの有名なお宝『アーク(契約の箱)』なのです。


多くの方がアークを語る時、例えばネット上では『日ユ同祖論』が有名です。


そこなどで、話題に出される時、ともかくモーゼが日本にアークを持ってきて、それが剣山に担ぎあげられてね・・・・という事ばかりですよね?


しかし、そのアークがどうやって手に入れられたか?についてほとんどの方が語っている事を見掛けません。


実はそれが盲点です(*^^)v


それではアークは一体どこから存在したのでしょうか?



【 モーゼと言えばエジプト脱出が有名】

その前に、モーゼはシナイ山の頂上にて、神が自ら十戒を2枚の石板に刻み、モーセに授けました。

そして石板を納める箱を作るように指示しました。これがアークです。


そして、エジプトを脱出して、その箱を担ぎながら・・・・

敵に追われても波が割れて奇跡が起きて助かるのです。

~以上~



●この波が変形する話し、実は日本にも有るんです(*^^)v

そこから実はとある事が分かります。


●そして、世界の五大預言者と言われている人々には実は、とある共通点が有るのでした・・・。


そして何と、契約の箱はモーゼの時代の前より存在する可能性が有ります(*^^)v


この三つ目の大きな文字の部分、非常に驚きませんか?

しかし・・・・とある研究ではその説も有るのです。


その元となった物が、なにか御紹介していきたいと思います。





続きは→番外編その⑥