前回は→その14            最初から→その1




 私がこれから話して行く中で一つ重要な事が有ります。


それは持統天皇と藤原不比等の事です。


これは、古神道にとって最悪な存在かもしれません。

私がこういう事をわざわざ言うのにはきちんと根拠が有ります。


古代史の研究者たちは、改ざんの首謀者は持統天皇(在位687~697年)と藤原不比等で、神話の天照は持統天皇そのものだと指摘しています。

専門家が先ずそう思っているという事です。


誰でも知っている有名な悪事?は先ずは天照を勝手に女性神にした事です。

例えば以下の文章を見て下さい。



【抜粋1】

持統天皇は、全国的に勢力を持つ瀬織津姫を封印しなければならなかった。
 

 それが縄文(国津神)の女神だったからだ。そこで、伊勢神宮の祭神を天照大神の女神とし、記紀から瀬織津姫の名を省き、地域の各神社の祭神を瀬織津姫以外に変えるように命令した。

その作業は驚くべく明治まで続いたらしい。

例えば、瀬織津姫から弁財天に変えるなど←だから、弁天さんは仏教伝来の神なのに神道の神でもある

【抜粋2】

瀬織津姫の名を全国から奪っていった。抵抗する神社は迫害にあったり、殺されたりすることもあったようです

 

 だから容赦はない。命まで奪っていく非常さの裏に、凄まじい孤独と不安の闇が見える気がする。


【抜粋3】
 また持統のこのような強引なやり方がまかり通ったのは、中臣鎌足の子・藤原不比等の手助けがあったからです。藤原不比等は藤原氏の祖ですが、実は鎌足の子ではなく天智の子だといわれています。

 

 朝廷の不比等への優遇・後の藤原氏の発展を考えれば、おそらくそのとうりなのではないでしょうか。日本書紀の編纂に関わったのはこの不比等です。




そして伊勢神宮の前身ともなった籠神社の宮司も

「実は神道の唯一神信仰が隠されたのは、記紀が編纂される8世紀である。言い換えれば、8世紀以前の神道には唯一神信仰が存在したのです」

※記紀とは古事紀と上に出て来た不比等が編纂した日本書紀の事を示します。引用は→こちら


つまり、この時代の政治の影響で古神道は変えられてしまったのです。


なので、日本書紀の内容はタカチホは信用ならないなという事は感じる訳です。


実は私がこれから話して行く神社にも、その不比等の悪事の痕跡をタカチホは発見してしましました(;一_一)。






続きは→その16