~プロローグ~

私達が普段認識してない事の一つに八幡様というものが有ります。

もっとも「はちまん」という言葉自体は各地に八幡宮が有ったりもするので聞いた事有ると言う方がほとんどかもしれません。

 

【八幡宮とは?】ウィキペディアより引用

八幡宮(はちまんぐう)は、八幡神を祭神とする神社

八幡神社八幡社八幡さまとも表記・呼称される。

全国に約44,000社あり、大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社とする

~引用以上~

 

4万4千!という数字・・・・・。

こんなに沢山有りながらどうして、何だかわからないという風な事になってしまって居るのでしょうか?

 

それは恐らく、八幡神というものに日本人が傾倒してはいけない理由が有るからでしょう。

 

 

その理由をお話しするのには順番に解説して行かないと意味がわからないと思うので、順を追ってまず始めに八幡様の内容について御紹介していきたいと思います。

 

 

八幡神とはそもそも何でしょうか?

 

 

【八幡神とは?】ウィキペディアより引用

八幡神(やはたのかみ、はちまんじん)は、日本で信仰される神で、清和源氏をはじめ全国の武士から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。

誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。神仏習合時代には八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)とも呼ばれた。

~以上が引用~

 

上の話から確実なのは

誉田別命(ほんだわけのみこと)応神天皇八幡大菩薩神仏習合時代~

つまり上の三つは同じ神の事です。

 

 

私の話しの中では、解り易くするため応神天皇という名称を使って行きたいと思います(*^^)v

 

 

この神様は実在か物語か?

 

 

はい実在します。話しを分かりにくくする意図が働いているのですが・・・・・。良く考えると解りますよ。

 

 

何故なら応神天皇の墓は実在する訳です

 

誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん、誉田山古墳)

は、大阪府羽曳野市にある前方後円墳。古市古墳群 の中心となる古墳で、約420メートルという墳丘長は百舌鳥古墳群の大仙陵古墳に次ぐ全国2位の規模である 

 

宮内庁により「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」として第15代応神天皇 の陵 に治定されている。

 

内濠と内堤より内側は宮内庁によって管理されている。外濠と外堤は民有の農地となっていたが、大古墳の一部ととして、1978年(昭和53年)に外濠、外堤のみを独立して史跡に指定された。

一般には「応神天皇陵」とも呼ばれる。

上に出てくる古市古墳群とは? 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本有数の大型古墳が密集する古市古墳群(ふるいちこふんぐん)は、大阪府 の東南部に位置する。羽曳野市 ・藤井寺市を中心に広がる古墳群で、4世紀末から6世紀前半頃までのおよそ150年の間に築造された。東西約2.5キロ、南北4キロの範囲内に、誉田御廟山古墳 (伝応神陵)など墳丘長200メートル以上の大型前方後円墳 6基を含む、123基(現存87基)の古墳で構成されている。

~引用以上~

 

それだけでは無く大阪って実は古墳だらけなんです。

上記の、古市古墳だけでなく百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)が、大阪府堺市 にあるんです。

古市古墳群 とともに、巨大な前方後円墳 を擁する古墳群として知られる。4世紀末ないし5世紀初頭から6世紀後半頃に築造された古墳が分布する。

 

こちらで有名なのは仁徳天皇陵でしょうか・・・・

 

大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)


しかし、こんなに沢山有る様に見えますが・・・・。

上の写真の大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)、 ミサンザイ古墳など、墳丘長200m以上の大型の前方後円墳3基を含む。かつて100基以上の古墳があったとされるが、第二次大戦後に宅地開発が急速に進んだため、約半数近くの古墳が破壊され、現存するのはわずか50基に満たない。

 

2008年 9月26日 、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を含む百舌鳥古墳群 、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)を含む古市古墳群 が世界遺産の国内暫定リストに追加された。歴史学や考古学の一部学会には、世界遺産登録やその登録条件となる文化財指定が、宮内庁管理下の天皇陵古墳の公開や発掘調査に道を開くものとして歓迎する声がある。


古市古墳群+百舌鳥古墳群

昔は123基+100基以上=およそ223基以上

現存87基+50基=137基以上

 

※つまりこれだけ壊されたのにも関わらず大阪にはこれだけの古墳の数が今だに有ると言う事です。

 

それなのに余り着目しないのは・・・・?

だってこの中には色々有ったはずですが・・・・・

実はその中身は日本の美術館ではなく・・・・・某国に・・・・という事をこれからお話ししていきたいと思います。

 

次回は応神天皇の人となり?というかあらましをお伝えしていきたいと思います。

実は応神天皇・・・・・神と名前に付くだけ有り、只者では無いのです。

 

一体どう只者では無いんでしょうか?

この話しは何と、普段私が書いている事に繋がってきちゃいます

(^^♪その驚きの事実を綴っていきたいと思います。

 

続きは→その2