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 この神社での不思議な出来事を語る前に、この神社のあらましをまず伝えておきます。

実は不思議な出来事以前に、この神社には(地元の方は御存知かもしれませんが)なるほどと思う事が沢山詰まって居るのでした・・・・。

まずは、ドキドキするその内容についてお知らせして行きたいと思います。


【神社建設当時のこの地域の社会的背景】

大和時代、壱岐では、壱岐氏という豪族が壱岐を支配して、治めていました。

また、壱岐氏は、占いによって航海の海上案内をしており、
朝鮮半島→対馬→壱岐→九州の航海安全を祈るため、月読神社を建てました

月読神社は、
当時、
航海の第一人者であった壱岐氏が壱岐の島でまつっていた航海の神様です。

いつ造られたかは分かりませんが、日本最古の神社と言われています。

月読神社があるこの場所は、今は小さな神社ですが、かつては大きな神域をもっていたと考えられます。

~以上~

 

 大きな神域∑ヾ( ̄0 ̄;ノ!なにやらドキドキしませんでしょうか?

「月読神社は、当時、航海の第一人者であった壱岐氏が壱岐の島でまつっていた航海の神様です」

あれっ?航海の神様だっけ月読の君って?って思いませんでしたか・・・・?

多くの人が知っている神様の区分を如何に書きましたので、御存知ない方は読んで見て下さい。

 

【月読とは何か?】古事記より

古事記によると

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)、左目を洗ったときに産まれたのが。

天照大神(あまてらすおおみかみ)です。

その後、今度は、
右目を洗い、そのときに産まれたのが

月読尊(つきよみのみこと)です。

月読尊(つきよみのみこと)は夜をつかさどる神として、月にたとえられ、この神様をまつってある神社が月読神社というわけです。

そして、更に、鼻を洗ったときに産まれたのが

スサノオノコトです

この神様は、海を治めるように命じられた、
とあります。
この3人の神様は他の八百万(やおよろず)の神々とは別格で、三貴神(みはしらのうずみこ)と記されています。

天照大神(あまてらすおおみかみ)は昼をつかさどる神で、太陽にたとえられて、高天原(たかまがはら)を治めています。


これに対して、月読の神は、この地上を月の光がまんべんなく照らし、自由、平等、平和に過不足なく生きられるようにと願っている神様です。

 

月読神社と名前のついている神社は、三重県の伊勢神宮の内宮の月読神社、外宮にある月夜見神社、それと、壱岐の島の月読神社、京都府の松尾大社の横の月読神社があります。

問題は、壱岐の島の月読神社と他の場所にある月読神社との関係です。
壱岐の月読神社は、もともとは壱岐の豪族の壱岐氏が、航海の安全を祈るために、おまつりしていました。

その後、487年、大和時代、阿閉臣事代(あへのおみことしろ)が、遣任那使として、任那の国に使いで行きました。

そのとき、壱岐の月読神が、「私は月神である。私を京都にまつれ。もし、私がいうようにすれば日本国中が幸せになるだろう。」と、いいました。
阿閉臣事代は都に帰り、天皇にそのことを報告しました。

天皇は、これを受け入れ、さっそく、壱岐県主の先祖、押見宿彌(おしみのすくね)を壱岐島から京都に呼び、嵐山に、壱岐の月神を分霊して、月読神社をまつりました。


この嵐山の月読神社は京都では最も古く「松尾大社」の南隣にあります。
その後、京都の月読神社を中心にして、日本全国に神道が根付くようになりました。

したがって、壱岐の月読神社が全国の月読社の「元宮」(もとみや)となるわけです
このことから、壱岐は、
神道の発祥の地とされています。
~以上が引用です~


下の写真は、この神社のお堂のなかに飾ってある写真の1つです。月の絵。月との関係の深さを現しているのでしょうか・・・

神社紹介から引用させて頂きました。

上の文章どうでしょう(*^ー^)わかる人にはもうドキドキだらけだと思いませんでしょうか?

月と太陽の神様・・・・そして航海・・つまり船・・・

渡来系の人々・・・

神道発祥の地・・・・・

 

そうです!あれですよ!日ユ同祖論をいやが上にも思い出しませんか?

 

そして次はいよいよお待ちかね・・・安産石についてのお話しです。

月延石(安産石)


2つのほこらみたいなものが見えますが、この中に、月延石(安産石)があると言われています。

しかし・・・・確認しに行ったとしても

絶対発見出来ないのです・・・!

それは一体何故だと思いますか?

この石の不思議に次回は迫ります(*^^)v

 

続きは→その6