前回は→その3         最初から→その1

 

前回のお話しは

壱岐の本宮八幡神社

②京都の月読神社

③福岡県の鎮懐石八幡宮

 

の三点のレポートでした・・・・。

それで大体の概略は終わった筈・・・・。

そうなのですが・・・。実はここにもう一つの記禄が有るのでした。

 

実は私はこれが本筋であると感じています。

この話しを読むと色々繋がってくるのです。

 

その場所とはもうひとつの月読神社です!

 

何?前回で書いていたじゃんと思った方・・・

そうなんです。月読神社は全国に有るのですが、前回は京都の月読神社のお話しだったのです。


 

そして今回は壱岐の月読神社について語りたいと思います。

 

実は、上記の三つの安置場所・・・・

という説がメジャーで有るのですが、


あともう一つの説が密かにあり、壱岐の月読神社に安置して有ると言う伝説があるからです。


実はね・・・・今回御紹介した、神功天皇の伝説・・・・。

この島の伝説の内容を主体にして居たのです。

この島には実はまだまだ、彼女にまつわる遺跡が存在します。

 

そのような島に伝わるお話しなので嫌が上にも気になりましたので今回御紹介します。

 

【壱岐の月読神社】

神功皇后が神の子応神天皇を産む際にこの石で腹を撫でて安産したものと伝えられ、舒明天皇の時代に月読尊の神託によって当社に奉納された。

 

安産の霊験があるといわれている水害を避けるため斉衡(さいこう)3年(856)に現在地(西京区松室山添町)へ移ったという江戸時代には衰退し松尾大社の摂社となっているが朝鮮半島に遠征し新羅を征討した、神功皇后と奇妙な関係に思える

 

境内は、江戸時代に建てられた本殿、中心に御船社聖

徳太子社などから構成されている月延石は三つあったとされ、福岡県二丈町の鎮懐石八幡宮に奉納されたと言われている。

 

日本書紀によれば、(487年)阿閉臣事代が任那に遣わされる途中、壱岐で月讀尊の神託があったのでこれを天皇に奏上し月延石(安産石)もとは航海の大族である壱岐氏が壱岐島(長崎県)で祀っていた航海の神。壱岐島から京都へ分祀されるにあたっては秦氏が関わった可能性が強いといわれている。

 

壱岐氏は航海の大族 で、秦氏の新羅からの渡来活動に協力した親縁

 

秦氏 が、渡来人たちの渡日ルートである韓半島→対馬→壱岐→九州の航海安全を祈るため、月読神の勧請応えたとされる。

~以上が引用~

 

 

①月読尊の神託?

②海の大族である壱岐氏が壱岐島(長崎県)で祀っていた航海の神。壱岐島から京都へ分祀されるにあたっては秦氏が関わった可能性が強いといわれている

壱岐氏は航海の大族 で、秦氏の新羅からの渡来活動に協力した親縁

 

そうです・・・・この文章を読むと秦氏・・・・。

繋がって来ましたね。そして、私が前回で御紹介した資料の中にも、壱岐氏は多少場所に違いが有ったとしても、秦氏と同じ大陸からやってきた人々なのです。

 

海に潜るという話し、そして神功天皇の功績を見ても海人族系等であると感じませんでしょうか?

そしてこの御神託の月読君・・・・月への信仰を感じます。

大変面白いので御紹介していきたいと思って居ます。

 

面白い伝説とは・・・・?

 

続きは→その5