前回は→その2              最初から→その1

 

えっW?たかちほ・・・・何その大胆な仮説は・・・・

いえ、ちゃんとその根拠が有ります。

 

大体卑弥呼ってどの本に出ているものか知ってますでしょうか?

はい(*^^)大抵の方が御存知の魏志倭人伝ですよね・・・・

これはどこの国の本だか知ってますか?

 

魏志倭人伝(ぎしわじんでん)ウィキペディアより引用→こちら

中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭条の略称。

 

当時、日本列島にいた民族・住民の倭人(日本人)の習俗や地理などについて書かれている。

著者は西晋の陳寿で、3世紀末(280年(呉の滅亡)-297年(陳寿の没年)の間)に書かれ、陳寿の死後、中国では正史として重んじられた

             ~以下略~

 

 また、本書には当時の倭人の風習や動植物の様子が記述されていて、3世紀の日本を知る史料となっている。

しかし、必ずしも当時の日本の状況を正確に伝えているとは限らないこと、多様な解釈を可能とす記述がなされていることから、邪馬台国に関する論争の原因になっている。

 

また一方で、岡田英弘など『魏志倭人伝』の史料としての価値に疑念を投げかける研究者もいる。

 

岡田は位置関係や里程にズレが大きく信頼性に欠ける点を根拠として挙げている。

 

渡邉義浩は『魏志倭人伝』には「卑弥呼が使者を派遣した当時のそう)魏の内政・外交や史家の世界観に起因する、多くの偏向(ゆがんだ記述)が含まれている」と指摘している。

~以上~

 


位置関係とか距離とか、つまりどこがどうとか全く正確じゃないと言う事です。

しかも・・・・・日本にだって書物は有るのに卑弥呼という名称で記述がないのです。

しかも卑しい巫女(字はちょっと違うけど)という表記。

 

どうですか・・・・?悪意さえ感じませんか?

 

先入観を捨てて考えてみてください。学校の歴史ってそれ程正しいと思えますか?色々な意味において。

しかも戦前と戦後では教科書の内容が違うって知って居ましたか?

歴史は昔有った事実の筈ですからありのままを印すべきであるもの・・・・。それなのにどうして変えちゃったか?

 

これは実は知る人ぞ知る大きな問題なのです。

そして、その女性に雰囲気が最も近いからでしょうね。

日本書記は神功皇后が卑弥呼であるような書き方をしています。

 

卑弥呼の謎が~等と言う迷走に騙されてはいけません。

その名称を使った本は中国の書物の中のみであり、日本で記録された本の中には無いのです。

 

だからそれを元に、全てを信じて謎ときをしても解ける訳が有りません。

 

実際問題解けてはいないではありませんか?一体邪馬台国ってどこですかね?それが大きな証拠です。もし信頼出来る本で有れば、内容も誠実正確で有る筈です。が・・・・・実際どうでしょうか?


では卑弥呼の事は一旦置いておきまして、日本で卑弥呼ではないか?と言われた神功天皇の凄さについて解説していきます。

 

今回は多くの人が御存知であろう古事記や日本書紀の内容では無く、とある島に残る言い伝えを御紹介しておきましょう。

それを読むと彼女が何者で有ったか解りますし、そして、貴船を操れた理由が全て繋がります。

 

彼女は何と、〇〇の一族であったのです!

さて、その〇〇とは・・・・・?

 

 

続きは→その4