使う資料は専門家の方の研究結果です。
実際に様々な物語を収集し研究したものなので信頼性が高そうなので、そちらの引用をそのまま御紹介したいと思います。
今回の研究者の方のお名前は稲田 和子氏です。
この方はどの様な方かと申しますと・・・・・。
岡山大学法文学部卒業。山陽学園短期大学の名誉教授の方です
彼女は1955年頃より、昔話の採集・研究にあたっておられるので、・・・て事は49年間・・・・・もの間ですよね。
著書には「日本昔話百選」(旦那様との共著で、三省堂より発売されているようです)「子供に語る日本の昔話し」等色々有ります。
さて・・・・
いよいよ実際に七夕が実際には最初から今の話しではなかったという事について書いて行きます。
当然この方は長い間、色々な物を読んで研究してこの結論を出して居るのでしょうから、相当に信憑性があるお話しでしょう。
先ずは、私が今回入手した絵本「天人女房」という物語についてです。(※簡単に言うと、天女の羽衣の話しと、現在の七夕の話しがごちゃまぜになっている感じでしょうか)
彼女の天人女房についての記載を下記に記すのでご覧ください。
たなばた行事の原型。今との違いも書かれて居るので興味深いです。
【天人女房の起源】
「天人女房」は「羽衣伝説」とか「たなばた」ともいわれ、七月七日に行われる七夕祭の由来ともなって居ます。
七夕祭は、五節句の一つで、五色の短冊に、書道裁縫の上達といった願い事を書いて笹竹につるし、庭先等に立てて星祭をする伝等行事です。
爪や茄子等の成り物を供えたり
里芋の葉の露を集めて墨をすり、習字をしたりします。
現代でも都会や農村で、7月の美しい風物詩となって居ます。
けれども、その起源がどんなに古いか知る人は少ないでしょう。
~以上が引用~
そうなんです・・・・つまり・・・・現代の七夕の粗筋内容や行事の内容をそのまま当て嵌めて考えても何も見えて来ない事になりますね。
色んなものがごちゃ混ぜになって成立してしまって居るものであるからです。
この絵本の話しー彦星(牽牛星、犬飼星)と織姫星が年に一度だけ会うという言い伝えは、中国で二世紀ごろの古誌までさかのぼると言われて居ます。それが日本に伝えられ、在来の棚機伝説と一体のとなったという経緯です。
中国で最初はどうだったかと言う話しを見て行けば色々解って来ますが・・・・話しが逸れますので、先ずは日本でどう変化してしまったか?という近代に近い方から解説して行きたいと思います。
現在の七夕に混ざってしまっている「棚機伝説とは何か?」という事を次に解説して行きたいと思います。
その前に・・・・・日本の素敵な文化として、上記の五節句とは何かについて解説して行きたいと思います。
簡単に言うと
七草粥の日。ひな祭り。子供の日。七夕。菊の節句の事です。
ウィキより引用まとめ→こちら
①人日(じんじつ)の節句 1月7日
「
この日を「七草」「七草の節句」「七種の祝い」などとも言い、「
セリ・・・・芹
ナズナ・・・薺 :別名「ペンペングサ」
ゴギョウ・・御形 :「ハハコグサ・母子草」のこと
ハコベラ・・繁縷 :「ハコベ・繁縷」のこと
ホトケノザ・仏の座 :現在の「タビラコ・田平子」
スズナ ・・菘・鈴菜:「カブ・蕪」のこと
スズシロ・・蘿蔔・清白:「ダイコン・大根」のこと
②「
「桃の節句」「ひなまつり」の事です。
3月の最初の「巳の日」に行われていた
「こどもの日」 「端午の節句」
元々は5月の最初の「午の日」の行事だったものが5月5日に行われるようになったようです。
由来は、もともと農村での女子の行事だったものが、奈良・平安時代に日本に伝わった中国の「端午」の行事と混じったものとも言われています。が、
④「
「七夕(たなばた)」「七夕祭り」「七夕様」の事
星の祭りとして行事が行われます。
笹竹に、歌や文字を書いた五色の短冊を飾って字が上手になるように願ったり、「けがれ」を払うために、笹竹を七夕の終わりに川や海に流す「七夕流し」や「七夕送り」の行事もあります。
今では、いろいろな願い事をするようですし、また、川を汚さないようにと、「流し盆」や「盆流し」と同じように「七夕流し」はあまり行われないようです。
日本七夕文化研究会様より引用。詳細を見たい方は→こちら
日本の「七夕」は、日本の信仰・行事と、中国の星にまつわる伝説や行事のいくつかが混じって出来たものといわれています。
⑤「
「菊の節句」とも呼ばれます。
中国では、昔から奇数を縁起のよい「陽」の数とし、一番大きな陽数の「9」が重なる日、すなわち9月9日をめでたい日として重んじ、「重陽の節句」としたといわれます。
「菊の節句」とも呼ばれる所以は、中国では、菊の花が不老長寿の薬草とされ、その菊の花が咲き誇るこの時期のこの日に、お酒に菊の花を浮かべた「菊酒」を飲んで邪気を払う風習があったた
めとされます。
日本にこの風習が伝わったのは、平安時代とされますが、現在ではあまりこの日を祝う風習はないようです。
現在の9月9日頃は、菊もまだつぼみで、「菊の節句」といってもピンと来ませんが、元々旧暦の行事ですから、現在の9月9日は旧暦では10月にあたり、菊の花も咲いていて、この日を祝うことが出来たのでしょう。季節のずれもこの風習がなくなってきた原因の一つでしょうか。
この日を「栗の節句」といって、栗ご飯を炊き祝う風習のあるところもあります。
~以上が五節句の解説です~
さて・・・・上記の天人女房の話しですが、日本に渡ってきたその話しは、元から日本に有った話しと融合されていきます。
一緒にされてしまった話しとはどんな話しだったのでしょうか?
今度の話しの予定として・・・・時代はもっとさかのぼって行きます。
中国から渡って来た七夕・・・・・。つまりより一層、神世の代に近い方の伝説は一体どんなものだったのでしょうか?
実はそれを追求していくと、最初の方に書いた北斗七星信仰とかに行きつくのですよ(*^^)v
つまり、現代の七夕に秘密が隠されているというより、古代にもっと違う内容で有った。
その内容を吟味すると実は古神道に繋がって居るから驚きです。どちらにせよ。やはり「単なる昔話、あるいは物話」という風な扱いには出来ないですね。
古代の七夕(正確にはその原型に)に奥義が隠されているという事です。
もっとも隠して居るというより単なる時代とともに伝わるにつれて、内容が少しづつ違う物に変遷して行っただかなのかもしれませんが・・・・・。
続きは→その7