理屈と感情 | バイクと自転車と本と

理屈と感情

長く同じことをやっていると、
大きなミスをしないようリスクへの対処が巧くなったり、
効率的に無駄ない動きを”無意識に最重視”していたり、
まぁ、自然とそうなる傾向が、どのスポーツ、スポーツ以外にものにもあると思う。
それは、経験、として長く続けるためには必要なことで、
自分がそんだけ頭を使ってやってきたという実績だ。

ただ、
人より、
過去の自分より、とにかく速く走ること、
そういうシンプルな競技をやっているにも関わらず上記を優先してしまう、
っていうのは、
停滞の一番の原因ではないかと思う。


この前、とにかく全力で走る意識が大事だ、
と書いたのに、
実際走っていると、
ほんと悲しいぐらいに無意識に無難な走りをしているのに気付く。



今日走った4本のうち、
がむしゃらな限界を出そうと思って出したのは最後の4本目の一部だけだ。

がむしゃらに走ろう、とにかく全力を出そう。
それがステップアップには必要だ。
と書いたが、
これが言えるのは、今、ここでPCに向かってリラックスしてリスクも何もないから、
らしい。


実際はダメだ。
全力で走ろうと思って、全力で走れたら楽だけど、そんなに単純に自分の体は動いてくれない。
単純なことだと思うんだけど、かなり難しい。


最後に本気で走れたのは、
走り仲間に付いていくのがやっとな状態が悔しくて頭にきたから。

より速くなるのには正確さよりも、がむしゃらに走ることが今の自分には必要だ、
なんて長い言葉で考えてなかったなぁ。

ただ、負けたくない、って気持ちだけだった。

その走りはよかった。
頭に血が上っているようで、走る事だけに関しては集中出来てるから。


これを意図的に引き出すのは無理だと思った。
で、この状態は終わってみれば気持ちいいけど(多分色んな脳内何ちゃらが出てるんでしょう)、
速くなるためにこれが絶対必要かっていうと、そうでもない気がした。
こういう状態になってもちゃんと走れるかどうかは、
色々と巧くいかなくてごちゃごちゃ考えて試行錯誤して、という仮定が前提な気がする。

自分が確実にコントロールできるのはその前提のところだけだ。
本気で出るチャンスがあったらラッキーぐらいに思えばいいのかも。


まぁ、
これからもごちゃごちゃと考えていこう。