大人が高校球児にみるもの | バイクと自転車と本と

大人が高校球児にみるもの

そういえば盆は久しぶりに帰省した。

そのとき、バイクの整備と自転車トレ以外に特にすることもないので、
普段見もしないテレビを見ていた(というか自分はテレビを持っていないのだった)。
しかも普段見もしない野球、甲子園の中継を見た。


甲子園へのイメージ、
「単なるインターハイの一競技のくせに、やたらともてはやされてて何か釈然としない」
高校の時のイメージだ。


自分も高校時代、
ボートでインターハイに出た。

ボートなんてマイナー競技だから、インターハイに出易いことは間違いないんだけど、
練習のハードさでいったら母校の中でもトップだという自負が当時あったし、
野球部が特別凄いとも思わなかった。

だから、
なんか高校のスポーツの頂点みたいな位置づけの、甲子園中継は当時から何だか嫌いだった。
ボートに限らず、沢山スポーツがあるんだぞ、と。
真っ黒になって汗を流して、涙を流してるのは、野球だけじゃないんだって。
そう思ってたっけ。



まぁ、
当時のそんな感覚を思い出しながら、
まだ身体が完成してない高校生が1球1球に魂込めてプレイしてる姿を見てると、
あの瞬間瞬間は、
人生やたらと長いけど、この先もう絶対に、二度と訪れない経験の連続なんだと思った。

もう二度と、絶対だ、絶対に来ないよ。
あの10代の少年が持ってる輝きみたいな、形容しがたい何か。
しかもそれは自分個人だけのものではなく、
共有できる仲間が、当たり前のように近くにいて、感覚を分かち合える、って環境。
この先の人生にあるはずがない。悲観ではなく、ないものはない、と思う。

いい歳いったおっさんが甲子園に夢中になるのが分かった気がした。
分かった気がしたけど、
自分としては、あれは刺激が強すぎるというか、何度も見たいと思えない。
野球のゲーム性としての観戦なら別にいいけど、
それ以上のものが見えすぎる甲子園ってのは、後ろを振り返る行為のような気がして。

まぁ、
ごくたまーに、でいいと思った。



さて、今日は運良く晴天に恵まれたので、
足回りセッティングで手こずっているモトクロスに。

結果から言えば、セッティングはベストではないけどベターなものが出て、
久しぶりに、
久しぶりというか、KXを7月に購入してから初めて
自分の限界を延長するのを試す走りが出来た。少しだけ。


なぜ甲子園の事を書いたかというと、
自分の走りの限界を少しずつ引き上げてるときのギリギリ感、というのは、
あの感覚は高校の部活に通じるものがある。

当時と違って、趣味という範疇の、しかもごくごく個人的な感覚ではあるんだけど、
もうすぐ30歳になろうかという年齢に達している今の自分の日常生活からはとてもかけ離れたもので、
これは、自分には他のどのスポーツからも得られないことで、
普通の会社員がやるには相当危険で、きつくて、怖さと向き合ったりする、
モトクロスならではの魅力だと思う。


今の自分の全部を使って何かをするのは、どんな人にとっても、たぶん気持ち良いことなんだろう。
毎回あるわけじゃないけど。

かなりすっきりした。
すっきりしたけど、3ヶ月ぶりに練習を再開できたようなものなので、
こっからまた少しずつ、コンマ1秒速くなる方法を想像しながら寝よう。