読書の夏
ブログタイトルに「本」って付けてるのに、本のことをほとんど書いていない。
ただ、
まぁまぁ読んでいる。
この1ヶ月くらいで読んだ本は、
まずは、神林長平再読第4弾の「言壺」。
好きな作品から読み返してて、
膚の下、ライトジーンの遺産、死して咲く花 実のある夢、魂の駆動体、
と読んできた。あれ、じゃあ第5弾だ。
改めて読み返すと、
よくもまぁこんな話を思いつくな、と思わざるを得ないというか何と言うか。
小説を読むと展開を予想しながら読んでしまうが、
神林作品はどれも予想が全く出来ない、着地点がどうなるのかほぼ推測不可能。
というところがどの作品にも共通しているのだが、
この「言壺」に関しては、まずは世界観の設定自体が想像も付かない。
ほんと、思考回路が常人と違いすぎるんだろうなぁと毎回思う。
言壺は、タイトル通り“言葉”を核とした短編集。
最後の一文を読んだとき、何とも言えない気分になるのだが、
その気持ちがどんなだったかを表現しようと思えば、
それはこの小説を読んでもらうしかないわけで、
俺のこの、伝えたいけど表現出来ないもどかしい感覚も含めて、この小説の中の主題の1つ、なのかなぁと。
好きな作家であり、尊敬する作家でもある。
好きな作家はけっこういるけど、尊敬までしてる作家はなかなかいない。
本を読むということは、新しい考え方に触れるチャンスだ。
会社で仕事をしていて、
神林作品を読んだときのような“気付き”が得られる機会などほとんどない。当然。
まぁ、特に仕事に役立つわけでも人間関係を改善するわけでもない気付きではあるんですが。
それが良い。本を読む。実生活で役に立つわけでない知識を得る。
小説ってのは体験を伴わない、単なる文字の集合体でしかない。
その辺りの言葉の不思議さ、人間にとって言葉とは何なのか、ってところに興味が少しでもあれば楽しめる本です。
で、
次に、恒川光太郎の「草祭」ですが、
相変わらず一気に読ませてくれる。
神林作品は一晩、1篇くらいのペースでゆっくり読むのが合っているけど、
恒川作品は、一気に読んでしまいたい衝動に駆られる。
その独自の世界観みたいなものは、出たり入ったりするより、1度にどっぷり浸かってしまう方が楽しめる。
だから一気読み。
デビュー作の「夜市」から全作品読んでいるけど、どれも“積み本”化することはなかった。
この人は短編の方が面白いと思う。
草祭も短編集。
ちょっとダークな宮崎駿ファンタジーっぽい感じ。
ところで以前、
宮崎駿のインタビューで
「ぼくは大人(の男性)を対象にして映画は作っていない」と言っていて、
それを聴いた中学生だった当時の俺は衝撃を受けたのを思い出した。
もののけ姫あたりで宮崎駿作品が大好きになった時期だったので、
大人の男なんか眼中にないわ、って発言は悲しかった。
でも、
確かに。
確かに、自分が歳を取ると、宮崎作品に自然と興味が無くなるもんですね。
千と千尋くらいか、最後は。
もう今の作品にはほぼ興味がない。
周囲の奴らもそんな感じなので、この歳になって宮崎駿ってすげーなぁ、と改めて感心した。
それだけ、ターゲッティングがしっかりしてる。
で、
そんな風に本人の思惑通り自然と宮崎作品に関心を失った年齢の俺だけど、
恒川光太郎の作品はどれも好きです。
少年の頃に読むよりも、
あの時代が過去のものとして懐かしいと感じられる社会人世代に合ってるかもしれない。
小学校を思い出すとき、
真っ先に思い浮かぶのが、下校の帰り道。
近道だ!とか言って凄い遠回りして帰ったりね、
知らない道を行くだけで、ちょっとした冒険だった。
ああいう気持ちを思い起こさせる作品が多い、恒川作品は。
長く書いてしまってるけど、
他に小川一水の「天冥の標Ⅲ」も読んだ。
正統派SF小説で、全10巻を予定している大作の第3弾で、普通に面白かった。
あとは近藤 史恵の「サクリファイス」
自転車のロードバイクを題材として若干ミステリ風味の話で、
モトクロスで筋肉痛なので何となく買った日曜の午前、そのまま水も飲まず飯も食わず3時間一気読み。
非自転車乗りにも十分楽しませる力はあるけど、ロード乗ってる人は面白さ1.5倍。
他の作品も読んでみたくなりました。
で、
今は京極夏彦の「豆腐小僧双六道中」が終盤。
これはちょっと自分の中では評価が低い。
京極堂シリーズはどれも文句なしに面白かったけれど、ちょっと盛り上がりがなさすぎるかなぁ。
と、いう感じで、
扇風機のリズム風に吹かれながら本を読む夏が好き。
ただ、
まぁまぁ読んでいる。
この1ヶ月くらいで読んだ本は、
まずは、神林長平再読第4弾の「言壺」。
好きな作品から読み返してて、
膚の下、ライトジーンの遺産、死して咲く花 実のある夢、魂の駆動体、
と読んできた。あれ、じゃあ第5弾だ。
改めて読み返すと、
よくもまぁこんな話を思いつくな、と思わざるを得ないというか何と言うか。
小説を読むと展開を予想しながら読んでしまうが、
神林作品はどれも予想が全く出来ない、着地点がどうなるのかほぼ推測不可能。
というところがどの作品にも共通しているのだが、
この「言壺」に関しては、まずは世界観の設定自体が想像も付かない。
ほんと、思考回路が常人と違いすぎるんだろうなぁと毎回思う。
言壺は、タイトル通り“言葉”を核とした短編集。
最後の一文を読んだとき、何とも言えない気分になるのだが、
その気持ちがどんなだったかを表現しようと思えば、
それはこの小説を読んでもらうしかないわけで、
俺のこの、伝えたいけど表現出来ないもどかしい感覚も含めて、この小説の中の主題の1つ、なのかなぁと。
好きな作家であり、尊敬する作家でもある。
好きな作家はけっこういるけど、尊敬までしてる作家はなかなかいない。
本を読むということは、新しい考え方に触れるチャンスだ。
会社で仕事をしていて、
神林作品を読んだときのような“気付き”が得られる機会などほとんどない。当然。
まぁ、特に仕事に役立つわけでも人間関係を改善するわけでもない気付きではあるんですが。
それが良い。本を読む。実生活で役に立つわけでない知識を得る。
小説ってのは体験を伴わない、単なる文字の集合体でしかない。
その辺りの言葉の不思議さ、人間にとって言葉とは何なのか、ってところに興味が少しでもあれば楽しめる本です。
で、
次に、恒川光太郎の「草祭」ですが、
相変わらず一気に読ませてくれる。
神林作品は一晩、1篇くらいのペースでゆっくり読むのが合っているけど、
恒川作品は、一気に読んでしまいたい衝動に駆られる。
その独自の世界観みたいなものは、出たり入ったりするより、1度にどっぷり浸かってしまう方が楽しめる。
だから一気読み。
デビュー作の「夜市」から全作品読んでいるけど、どれも“積み本”化することはなかった。
この人は短編の方が面白いと思う。
草祭も短編集。
ちょっとダークな宮崎駿ファンタジーっぽい感じ。
ところで以前、
宮崎駿のインタビューで
「ぼくは大人(の男性)を対象にして映画は作っていない」と言っていて、
それを聴いた中学生だった当時の俺は衝撃を受けたのを思い出した。
もののけ姫あたりで宮崎駿作品が大好きになった時期だったので、
大人の男なんか眼中にないわ、って発言は悲しかった。
でも、
確かに。
確かに、自分が歳を取ると、宮崎作品に自然と興味が無くなるもんですね。
千と千尋くらいか、最後は。
もう今の作品にはほぼ興味がない。
周囲の奴らもそんな感じなので、この歳になって宮崎駿ってすげーなぁ、と改めて感心した。
それだけ、ターゲッティングがしっかりしてる。
で、
そんな風に本人の思惑通り自然と宮崎作品に関心を失った年齢の俺だけど、
恒川光太郎の作品はどれも好きです。
少年の頃に読むよりも、
あの時代が過去のものとして懐かしいと感じられる社会人世代に合ってるかもしれない。
小学校を思い出すとき、
真っ先に思い浮かぶのが、下校の帰り道。
近道だ!とか言って凄い遠回りして帰ったりね、
知らない道を行くだけで、ちょっとした冒険だった。
ああいう気持ちを思い起こさせる作品が多い、恒川作品は。
長く書いてしまってるけど、
他に小川一水の「天冥の標Ⅲ」も読んだ。
正統派SF小説で、全10巻を予定している大作の第3弾で、普通に面白かった。
あとは近藤 史恵の「サクリファイス」
自転車のロードバイクを題材として若干ミステリ風味の話で、
モトクロスで筋肉痛なので何となく買った日曜の午前、そのまま水も飲まず飯も食わず3時間一気読み。
非自転車乗りにも十分楽しませる力はあるけど、ロード乗ってる人は面白さ1.5倍。
他の作品も読んでみたくなりました。
で、
今は京極夏彦の「豆腐小僧双六道中」が終盤。
これはちょっと自分の中では評価が低い。
京極堂シリーズはどれも文句なしに面白かったけれど、ちょっと盛り上がりがなさすぎるかなぁ。
と、いう感じで、
扇風機のリズム風に吹かれながら本を読む夏が好き。