Living on the Edge
自分は両刀である。
オフロードやってる人はオフロードだけ、
オンロードの人はオンロードだけ、って人の方が多いと思う。
基本的にはオフ中心なので、
KTMのスーパーデュークRを買うときなど、
「なんでそんなの買っちゃうの!?」と言われたものだ。
そうなんだよね、
モトクロスやってりゃ、金が余るなんてことはあり得ない。
より速く、より安全に練習したければ、メンテサイクルは早め早めがいいし、
そろそろニーブレースが交換時期だ、
などと考え出せばお金はどんどん出て行く。
でも、
オンロードバイクから見えるあの、視界がスーッと狭まるようなスピード感はオフロードにはない。
絶対に扱い切れないパワーを膝に挟んでバンクしていくのは、
例えば、子供の頃ガンダムを操縦するのを空想していたのと感覚が似ている。
自分にとってオンロードバイクは、
モトクロッサーみたいに手足のような一体感や征服感などは目指していなくて、
ただ、
自分の力を圧倒的に超えた、マシン的な、モビルスーツ的な強さに触れたい、ってところにモチベーションの起源がある。ような気もする。
今考えた。
オフ車しか扱ったことがない人は、
1度、1000CCを越えるスーパースポーツに乗ってみると分かる。
オフ車は人に近いところにあって、人間の能力を拡張する道具のような感覚で、
オンロードは、“操縦”って言葉が似合うような、
これだけエコだハイブリッドだと言われている世の中でどうして存在できるのか不可解な、
SFチックで場違いな能力を持った一つのマシンだ。
といっても大げさでない。
100km/hまで3秒って絶対要らない能力だよね。
そして、
その、モビルスーツのような圧倒的なパワーを、
自分が走るのと同じ、“公道”で全開で扱う狂気のレースがマン島TT。
今月のフリーライドマガジンには、そのマン島特集があって、
久しぶりに読んでて胸が熱くなりました。
同雑誌で、松下ヨシナリ(敬称略)というライダーのことは知っていた。
2年前にマン島TTに出場し、大怪我を負ったということも覚えていた。
今年のマン島はウェブ上で特にチェックしていなかったので、
まさか再び出場しているとは思わなかった。
マン島TTという死と隣り合わせのレースを、
同誌の記事では、クライマーと被せて表現している。
自分はインドアだけだけどボルダリングというフリークライミングを2年ぐらいやっていた事がある。
僅かなエッジに体重を乗せて上を目指すクライマーは
その手足のムーブ(といいます)と筋力の余力に全神経を研ぎ澄ませており、
ああ見えて、落ちるかどうかギリギリのところで命を天秤に掛けているわけではなく、
自分の体の状況を把握しながら、余力を残しているもの。
マン島を走るライダーも同じようなものではないか、と記事にあって、
ああ、
なるほどねぇ、と思った。
自分の体の状況を正確に把握するために、その精度をひたすら上げるために、
何度も何度も練習して、数多くの下準備があるわけだ。
マン島TTは確かに危険ではあるけれど、
マシンは勝手に暴れるわけではない、自分がアクセルを開けるからスピードが出るのだ、
マージンというのは、自分の手の中に常にある。
その見極めの精度が大事なのかな、と思う。
話を松下氏の挑戦に戻すと、
彼が2年前に初出場でクラッシュ大怪我をしたことについて、
大ベテランカメラマンが
「初出場でクラッシュするなんて、ちょっとナメていたんじゃないですかね」
とコメントしている。
同時に本人も、自覚できないまま慢心があったのかもしれない、と振り返っている。
モータースポーツをしてる人にとって、このあたりの話というのは常に自分自身の話でもあるはず。
リスクマネージメントというのは、自分自身の能力を知ることから始まる。のかね。
まぁ、
傍から見たら、安全が確保できない公道で300km/hオーバーってのが、
「自分の能力で制御範疇内」
っていうのは、
それはもう、
果てしなくカッコいいと思う。
しかも、俺からしたら、
1000ccのオンロードバイクはモビルスーツみたいなもんだ、
だから、
彼らはライダーというよりはパイロットだ。
すっごいなぁ。
カッコいいなぁ。
行って、直接見てみたいなぁ。と思った。
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