このところクルト・ワイルが作曲した「スピーク・ロウ」のメロディーが頭から離れない。小生のように刷り込まれやすいタイプによくあることで、今回はドイツ映画「あの日のように抱きしめて」に効果的に使われていたからだ。その歳になってメロドラマかい?と笑われそうだが、第2次世界大戦直後のドイツを舞台にした内容で、邦題からイメージするような甘い恋愛ものではない。原題は「Phoenix」で、その意味はラストの楽しみだ。

 まず、冒頭ベースソロでこの格調高いメロディが流れる。「September Songs The Music Of Kurt Weill」に収められているチャーリー・ヘイデンだ。中盤にワイル本人がピアノを弾きながら歌ったSP盤をかけるのだが、時代感があるし、愛のはかなさを歌った詞が物語の行方を暗示している。そしてラストで主演のニーナ・ホスが歌う。最大の見せ場で最高の演出なので詳しく書けないのが残念ではあるが、本稿のタイトルから汲み取ってほしい。歌詞の終わりは♪ Will you speak low to me, speak love to me and soon なのだが、最後まで歌わずその前の♪ I wait でやめている。ここに深い意味が込められているのだ。

 この曲はウォルター・ビショップJr.やビル・エヴァンス、ソニー・クラーク等の名演でインストのイメージが強いが、ヴォーカルも名唱が揃っている。アメリカン・ニューシネマを代表する「タクシー・ドライバー」でお馴染みのシビル・シェパードが、1976年録音の「Mad About The Boy」でこの曲を取り上げていた。女優の付け焼刃的な作品にしか見えないが、どっこいこれが素晴らしい。バックにスタン・ゲッツが参加していて、歌伴とは思えないほど熱が入っており、J.J.ジョンソンやジェリー・マリガンと渡り合ったときのような気魄がある。美人女優のお遊びに付き合ってやろうかという軽いノリから本気モードに入ったのだろうか。

 映画はナチスとユダヤ人という重い歴史のうえで成り立っているが、ワイルもユダヤ人だったことから迫害されている。もしワイルがナチの手を逃れアメリカに亡命しなければこの曲も「マック・ザ・ナイフ」も「セプテンバー・ソング」も戦争の犠牲になり、ドイツに埋もれたままで終わったかも知れない。先に挙げた名演やロリンズのサキコロ、シナトラの名唱がなければ音楽は寂しいものになっていただろう。