古屋晋一著「ピアニストの脳を科学する」(春秋社刊)という本が今ピアニストの間で話題になっているという。小生はピアノも弾かなければ、記憶力が悪いのは歳のせいだと諦めているので脳科学にも興味はないが、サブタイトルの「超絶技巧のメカニズム」に惹かれて手にした。1分間に数千個にのぼる音を超高速で鍵盤から紡ぎだすピアニストの指の動きと、それをコントロールする脳の活動の関連は興味深い。

 この本ではクラシックのピアニストを分析しているが、ジャズのフィールドでも超絶技巧を誇るピアニストは大勢いる。超絶技巧だけでジャズという音楽が成立するわけではないが、泉の如く溢れるアイデアを持ち、それを思いのまま鍵盤で表現しようとするならテクニックも必要だ。挙げればきりがない技巧派のピアニストだが、ドミニカ共和国出身のミッシェル・カミロは、その卓越した技術にプロのピアニストでも憧れるという。クラシックの素養に加え、ジュリアード音楽院で学んだジャズ理論、ジャムセッションで培ったジャズセンス、そして何よりもラテン系特有の派手なプレイが特徴だ。

 数多くのアルバムをリリースしているが、「Triangulo」はアンソニー・ジャクソンとキューバ人のドラマー、オラシオ・エルナンデスを伴ったトリオ作品で、ラテンを強調した内容になっている。作曲家としても才能を発揮しているカミロなのでオリジナル曲中心だが、ラテン・カラーに相応しいガレスピーの「コン・アルマ」という選曲が心憎い。ガレスピーは幾つもの後世に残る曲を書いているが、なかでもこの曲はアフロ・キューバン・ジャズの立て役者としての陽気な一面と、哀愁や感傷といったロマンを想起させるメロディを持った傑作といえる。カミロはその原曲の美しさを際立たせており、それは超絶技巧だけでは表現できない境地だろう。

 同書で、フォーカル・ジストニアとよばれる思い通りに手指を動かせなくなるピアニストに多い病気に触れている。練習の積み重ねからくる脳内の変化が原因といわれるが、この障害をジャズ・ピアニストは起こさないという。楽譜通りに弾くクラシックのピアニストに比べ、自由にアドリブを展開するジャズは脳細胞のストレスが希薄というわけだ。ジャズという音楽の開放性を脳科学から改めて学んだような気がする。