
リーダー作はなくてもサイドメンとして多くのセッションに名を連ねているプレイヤーは数多くいる。リズムを刻むことに徹したベーシストやドラマーが多いが、十分な実力とアイデアもあり、リーダーとしての資質を持っているホーン奏者でもその機会に恵まれなかった人を挙げればきりがない。ところがサイドメンとして一度も起用されたことがないのにリーダー作を1枚残しているプレイヤーがいた。
アール・アンダーザというアルト奏者だ。知名度の低いプレイヤーや一般受けしないジャズは、マイナーレーベル或いは自費出版という形でレコード化されるが、発売レーベルは名門のパシフィック・ジャズである。いきなりリーダー作を出すほど期待されていたのが窺えるが、原文ライナーノーツを頼りに謎の人物像を探ってみるとパーカーとともに最も影響を受けたのはリー・コニッツだと語っている。そして兄弟子にあたるエリック・ドルフィーと一緒に音楽教師ロイド・リースに師事したという。これらの資料を基に推測するとパーカーのアイデア、コニッツの理論、そしてドルフィーの前衛性が柱になっていると思われる。
さて、肝心のアルバムを聴いてみよう。「オール・ザ・シングス・ユー・アー」や「ユード・ビー・ソー・ナイス」というスタンダードとオリジナルの程よい選曲で、懸命な聴き方ではないとはいえ他のプレイヤーと比較しやすい内容だろう。パーカーに通じる閃き、コニッツのような瑞々しさ、ドルフィーにみられるアヴァンギャルド性、確かに豊富なアイデアに恵まれているようだ。そしてバラードは歌心を量るうえで重要な選曲だが、ここでは「ホワッツ・ニュー」を吹いている。テーマをドラマティックに歌いあげるあたりはバラード解釈も見事といえよう。少々耳障りな高音が続くのが気になるが、これはオーネット・コールマンの語法ともいえる。
ジャズ評論家のアイラ・ギトラーが高く評価していたことが肯ける内容だが、何故この作品1作だけを残して表舞台から姿を消してしまったのだろう。憶測の域を出ないが、あらゆるスタイルを身に着けてしまったため自身の方向性が見つからなかったのではないか。そしてパシフィック・ジャズが求める62年当時の「正統派の音」ではなかったのかもしれない。多才な人はときにその才能につぶされるという。