10日まで札幌市で開かれたYOSAKOIソーラン祭りは今年で16回を数える。北海道大学の学生が高知のよさこい祭に着想したイベントで、今ではさっぽろ雪祭りと並び知名度も参加者も全国区だ。赤、緑、青の原色を配した艶やかな衣装でチーム一丸となって踊る姿は美しい。会場周辺の企業活動に支障を来しているとか、地下鉄車内ではマナーを守らない踊り子が目立つといった批判があるものの、その経済効果は大きなものだろう。

 72年によさこいのように派手な衣装で日本のステージに立ったのは、菊地雅章と共演のため来日したギル・エヴァンスに同行したビリー・ハーパーである。68年にはジャズ・メッセンジャーズの一員として来日しているのがだ、聴くのは初めてのことだ。そのテナーはマイクが飛ぶような大きな音で、コルトレーンの流れを汲むスタイルながら感覚は新しい。当時無名のトランペッター、マーヴィン・ピーターソンも一緒で、ビリーと同じような衣装で並ぶ二人の煌びやかな音は70年代を牽引するエネルギーがあった。

 ビリー・ハーパーは77年に「ソーラン・ブシ」と題してソーラン祭りでお馴染みの曲を録音している。北海道のニシン漁の歌で、明治の頃から歌われているワークソングのひとつだ。ハーパー自身、この歌は特別な意味を持ち神聖である曲と語っていたが、ゴスペルに似たソウルフルな美しさがあるからだろう。威勢のいいメロディからのアドリブ展開も自然で、原曲が日本の歌とは思えない広がりをみせる。ハーパーの渋いノドで「ヤサエエンヤンサノドッコイショ」の合いの手が入るが、これはソーラン節の厳かな伝統に則ったものだろう。ポスト・コルトレーンと言われながらも評価の低いハーパーの真骨頂が聴ける作品である。

 ソーラン祭りのルールはダンスミュージックにソーラン節のメロディを一小節含めて、鳴子を持って踊れば基本スタイルとなる。来年あたりビリー・ハーパーをバックに踊るチームが現れないものだろうか。一般からの携帯電話投票数も審査の参考になるというからそのチームに投票したいものだ。