犯罪各論の基礎「生命の保護・自己決定権と刑法202条の趣旨」
刑法第202条(自殺関与及び同意殺人)
「人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。」
1 刑法は、殺人罪、傷害罪等を処罰することにより、人の生命・身体の保護を図る。ただし、殺人罪においては、被害者の同意がある場合、同意殺人罪、自殺に対する教唆・幇助を殺人罪よりも軽く処罰している(202条)。
傷害罪においては、被害者の同意がある場合の202条のような特別規定はなく(ただし、不同意堕胎罪、同意堕胎罪、自己堕胎罪の対比から、同意堕胎罪は、母体に対する同意傷害を不同意堕胎罪よりも軽く、自己堕胎罪よりも重く処罰しており、このことからすると、同意傷害は、可罰的とするのが刑法の趣旨とも解しうる。)、解釈に委ねられているが、近時の有力説・多数説は、被害者の同意を自己決定権の行使と把握し、原則、傷害罪は処罰されないが、202条が生命に対する自己決定権をパターナリズムの見地から制限することとの均衡から、生命に対する危険がある傷害、または、回復困難な重大な傷害(手足の切断、回復困難な昏睡状態をもたらす脳障害など)については、例外的に傷害罪が成立すると解している。
ただし、202条との均衡から、法定刑の上限は202条の7年を超えるべきでないとする(斎藤、井田、山中、佐伯等。)※
※社会倫理・道徳と同意傷害の可罰性
判例のように違法な目的などを考慮する総合判断説ないし社会的相当性説から被害者の同意の有効性を考える見解は(団藤、大塚、福田など)、今日では少数説となっている。やくざの指つめやSM行為、入れ墨行為について、反社会的・反道徳的と判断すると、総合判断説や社会的相当説からは、違法性阻却は否定する方向になりやすい。最近、入れ墨行為を医師法違反で処罰する実務に対して、入れ墨の文化、ファッションとしての自由の点から、裁判で争うケースがでているようである。仮に傷害罪でなく、医師法違反という罪名だけで起訴されているのならば、検察実務は、入れ墨行為を同意傷害としては不可罰と考えている節もある。なお、ドイツ刑法228条は、同意傷害について、「行為が善良な風俗に反する」場合は違法として処罰し、被害者の同意による傷害行為について倫理的・道徳的制限を設けている。日本の判例や総合判断説等は、このような制限を違法阻却の解釈論として援用しているのかもしれない(日本刑法には明文がないにもかかわらず)。
ドイツ刑法第228条
「被害者の承諾を得て傷害を行った者は、承諾にもかかわらず、行為が善良の風俗に反するときにのみ、違法に行為を行った者とする。」
202条から自己決定権の限界を図る、かかる生命危険・重大な傷害説は、一定の説得力をもつが、問題はそのよりどころである202条と自己決定権の関係、つまり、生命の保護と自己決定権の関係が明瞭でない点がある。
以下、具体的に指摘したい。
2 刑法202条は、同意殺人と自殺関与罪を同一の条文で、6月以上7年以下の懲役又は禁錮と殺人罪よりも軽く処罰している。前者に関しては、生命放棄の自己決定権を刑法はパターナリズムから認めていないこと、後者に関しては、生命放棄の一態様である自殺を間接的に防止することである。つまり、殺人罪の「人」は他人を意味し、自己は含まれないので、自殺行為自体は、構成要件に該当しない行為である。自殺行為を直接処罰して禁止しても、自殺が既遂にいたれば、処罰は無意味であり、未遂で終わっても、自殺意思を放棄しない限りは、禁止規範による直接の自殺行為防止は実効性が乏しい。そのため、共犯的関与の処罰という間接的な禁止により、自殺を防止しようというのが、自殺関与罪の趣旨であろう。自殺行為自体は、自殺行為者自身にとっては、積極的に適法とはいいにくい属人的な意味で可罰的違法性がないものであるが(可罰的違法性阻却説・自殺者本人対する行為規範・制裁規範を設定することの無意味性)、自殺行為の間接的防止のため、他人が生命放棄に間接的に干渉する行為について可罰的違法性を認めたものと解される(属人的な違法の相対性)。
このように同意殺人であれ、自殺関与罪であれ、いずれにせよ、被害者の意思に反しても生命の保護を徹底するものである。生命は、自己決定の主体である人格の存在の基盤・前提であり、生命の放棄は、自己決定権の存在基盤を破壊するものであって(一種の内在的制約)、早まった決断として、国家が後見的に干渉するものである。すなわち、生命の放棄に関する自己決定権は原則として認められない(近時の多数説)。※これは、生命放棄の自由、自殺の自由を原則として認めないことを意味する(生命保護の絶対性)。
※安楽死・尊厳死と202条
いわゆる安楽死・尊厳死の問題は、例外的に生命放棄に関する自己決定権を肯定できるか=違法性阻却を認めうるかが問題となる。下級審(緊急避難の法理と自己決定権の法理から安楽死の違法性阻却を構成するのは横浜地裁平成7・3・28。但し、事案解決としては違法阻却を否定)・多数説は、極めて例外的にせよ安楽死等の違法性阻却の余地を認めるが、逆に生命の保護の絶対性から、違法性阻却を否定し責任阻却の余地のみ認める見解もある(内藤、山中、井田など)。なお、これに関連して、202条を被害者の不自由な(瑕疵のある)意思決定の場合に限定し、真に自由な(瑕疵のない)意思決定があった場合は、むしろ自己決定権が完全に実現したものとして安楽死・尊厳死を不可罰とする少数説もある(町野朔・犯罪各論の現在20頁、34頁参照)。安楽死・尊厳死の問題は、介護殺人、延命治療、終末医療等の今日的問題が絡み、即断はしにくいが、法理論として、「生命保護の絶対性」を貫くよりは、違法性阻却の例外的余地を残しておくことが、実務的バランス感覚があると思われるし、究極的な「死に方の選択の自由」について、刑法解釈という狭い次元だけで決定するより、哲学、憲法論、個人、社会的利益等を踏まえた全法秩序における開かれた多元的な考察方法をとることが望ましいとすれば、違法性阻却の論理を「封じる」ことは、刑法解釈学の独善でしかないであろう。むろん、ナチス的な優生思想に基づく生命のランク付けのように生命保護の低下、「価値のない生命」をもたらすことは、絶対にさけなければならないが、これこそ生命倫理の問題で有り、開かれた論議を必要とする領域である。