どうでもいいテーマ「ガソリンカーはどうして『汽車』に当たるのか」
デスクワークと出張が重なり、電車では爆睡状態なここ数日。難しいテーマはなかなか書く時間がありません。少しずつ書きためて、不定期連載が限界ですね。「共謀と実行」は結論だけは完成しているのですが、後半の判例、文献が消化し切れておらず、未完のままです。「窃盗の可罰性と刑事政策的意義」も最近の文献を読み始めたら収拾がつかなくなりそうなので、理論編はこの程度で後半の刑事政策編のほうがさくさく書けそうな気がしますが、完成は6月ですね。毎日ブログを更新できる人のタフさがうらやましいです。
ところで、罪刑法定主義の拡張解釈か類推解釈かの具体例として、過失往来妨害罪(刑法129条)の客体の「汽車」にガソリンカーが当たるという戦前の判例(大判昭和15・8・22)がよくあげられます(団藤重光・刑法綱要各論第三版233頁など)。
学生時代、「汽車」って蒸気機関車の意味で「電車」と区別されているから、拡張解釈でなくて類推解釈じゃないかと思っていました。団藤先生によれば、「けだし、汽車・電車とガソリン・カーとちがうのは動力の点だけで、動力の差異は129条の適用になんら重要性をもたないからである。これに反して、バスになると、軌道の上を運転するではないから、もはや129条の予想するところではない」といっています(団藤重光・刑法綱要総論第三版59頁)。軌道上走る列車であることは、汽車、電車もガソリンカーも動力が違うだけで同じだという論法なんですが、これって、当該概念と対象となっている物体の性質の類似性を根拠に法律上同じに扱うという類推解釈っぽいんですよね。判例や団藤説は罪刑法定主義に反する類推解釈なのかの疑問です。
ところが、ウィキペディアによると「気動車」という概念があり、「人員・荷物もしくは貨物を積載する空間を有し、運転に必要な動力源として内燃機関や蒸気機関などの熱機関を搭載して自走する鉄道車両である」と定義付けされ、とうぜん蒸気機関車、ディーゼルカー、ガソリンカーも含むということで、しかも、「汽車」とも呼ばれていたようなのです。これらは、内燃機関が蒸気機関かディーゼルエンジンか、ガソリンエンジンかの違いでしかないようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E5%8B%95%E8%BB%8A
ガソリンカーは、大正時代から戦後の1950年ごろまで活躍していたようで、上記判例の時代は結構メジャーなものであったんですね。また、「汽車」は列車のことや、国鉄も意味していたようで、「蒸気機関車」の意味に限定していなかったようです。
そうすると、「汽車」=気動車であれば、ガソリンカーは「汽車」にあたるとの解釈は、言葉の意味の可能な範囲、つまり罪刑法定主義に反しない許された「拡張解釈」ということがいえるのでしょう。団藤説は言葉足らずだったということでしょうか。
でも、これって、教科書にちゃんと説明してくれていないと何で拡張解釈なのかわかりませんよね。真正な鉄道マニアの方のチェックが必要なのかも…